ごめんねハイデッガー

ハイデガーが読み勧められないので、他の本を先に読みます

ラリーとバリー

 痒いと思って手を伸ばした先に、またそいつがいる。

 痒さと言うのは身体に何らかの異常が発生していると言う事だ。または何らかのエラーが発生していると言う信号だ。実際に異常が発生しているかは知らない。アトピーは何だってあんなに痒いんだろうな。痒さに耐えられる人間なんているのか。

 

 だが今回、俺がムカついてるのはそれじゃねぇ。レックリングハウゼンだ。神経性線維腫症。お前だ。※ I型II型がある。

 

 そいつは己の神経に沿って突如として出来る腫瘍だ。表皮に近い部分から脊椎の中まで、どこにだって出来やがる。こいつらのムカつく部分は、「コンロトール不能性」だとか「自分が関与していない」ところにある。ガンだってそうかも知れない。

 「自分の選択や行動の結果」としての傷、怪我、病気ってのはまだ納得出来る。だがコイツらはそうじゃねぇ。気付けば出てきてやがる。今だってそうだ。痒いと思って手を伸ばした先に、知らないラリーとバリーがこにゃにゃちわ!だ。

 

 俺が煙草を吸った時やラーメンを喰う度、はたまたセックスオナニーで射精をする度に、ランダムにラリーやバリーの兄弟が出て来るってんなら全て控えよう。俺は修行が大好きだ。目的があるなら大抵の事は何だって我慢出来るキチガイだ。特技は痩せ我慢だ。デブだけどな。

 

 それでもラリーやバリーの兄弟は、何の理由も無く出て来る。俺が何をしようとどう生きようと関係が無い。ムカつくよな。何の思い入れも持てない腫瘍が、いきなりそこに出てきてやがる。全身にだ。全身にだぞ、分かるか。特定の部位にちょろっと、なんてもんじゃねぇ。

 手で触れたってわからねぇような奴らが、強い光(単一の光源)に照らされると浮かび上がる。見えてない奴らが影を落とす。ウンザリする。綺麗な身体が欲しい。電脳化が進んで全身義体になったっていい。もういっそジェイムスン型だっていいよ。助けてくれ。ソープ嬢に毎回謝るのも疲れたんだ。「ごめんな、あんま気持ちのいい身体じゃねぇだろ」って。

 

 美しさへの憧憬と憎悪がある。駅やコンビニで俺と同じ病気の人間を見る時がある。あなた達はどうだろう。美への憧憬と憎悪はありますか?自分に向けられる目を潰してやりてぇと思う事はありませんか?疲れませんか、自分の身体に。エレファントマンに涙をしても、絶対にそうは生きられない素直な人間達に。※エレファントマンはまた別の病気で例えの話です。

 

 強い光は要らんのです。拡散した淡い光でいい。外科手術以外にあり得ない救済と、永遠に湧き続けるラリーとバリー、そいつらと生きると言う事に疲れませんか。俺は疲れていますが、みなさんはどうですか。

 あと指定難病の補助が今年一杯で打ち切られそうなんだけど、みなさんどんな感じですかね?まぁこの日本国の現状だと、そこら辺から締め付けて切っていくのは分かってたんですが、思ったより早かったですねぇ。

 まぁそこまで参っちゃいねぇんですけど、俺以外の人の動きを知りたいのですがどうなんでしょ。情報交換でもしませんか。オンでもオフでもいいですよ。ここのコメント欄でもいいですし。どうでしょう。もう少し生きませんか。

本を読みました 【笑いのカイブツ ツチヤタカユキ著/文藝春秋】

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 それは粗悪なドラッグだ。乱暴な快楽だ。憎悪。絶望。感情。いいぞ、もっと寄越せ。嘲笑と憧憬が渦を巻く。焦燥と優越が吹き付ける。

 俺はその中に必死に自分を探しては引き剥がす。融合と乖離を繰り返す。俺はコイツじゃない。憧憬。嘲笑。コイツは俺じゃない。焦燥。優越。繰り返す呪詛。それでも俺は動かない。動けないし動いてはいけない。

 

 「笑いのカイブツ」は別に優れた私小説では無い。カタルシスも得られない。ひたすら憎悪と呪詛が叩き付けられていく。つまらなく、そして下らない。ただ妙に熱いドロドロした血液だけが、音を立てて流れて行くのが聞こえる。好きでも無ければ嫌いでも無い。

 ドラッグだ。だけど俺は飛べなかった。

 俺は彼に同化できない。誰一人彼に同化出来ない。俺は彼に唾棄される側の人間だ。俺は彼の敵だ。嘲笑は当然、賞賛すらも彼を救わない。俺に出来る事は嘲笑も賞賛もしない事だ。同情もせず、触発もされない事だ。

 

 彼の感情に乗る事もしてはならない。彼の感情を消費してはならない。だから彼が炸裂させる呪詛や禍根と言う名前の感情に乗って泣いたり笑ったりしてはいけない。少なくとも俺には出来ない。

 

 エモい。それは感情の吐露だ。疾走、暴走、垂れ流し。その呪詛、憎悪、憧憬、焦燥は何かを得た気にさせるが、これは単なるジャンクフードだ。ジェットコースターだ。読んだって何にもならない。人生は変わらない。給与は増えないし、恋人が出来たり宝くじが当たったりはしない。

 ただ彼の努力、根性を勿論笑えない。彼の不運や社会性の無さも笑えない。誰も彼を救えない。彼が敬愛する芸人ですら救えない瞬間がやがてくる事すら予見させる。それが苦しい。苦しくてそれでも平然として読まなければならない。

 彼の感情に乗っかって何かを得た気になってはならない。それだけはしちゃダメなんだ。そうしない事だけが唯一、彼に報いると言う事なんじゃないだろうか。

 

 だから馬鹿馬鹿しく、下らないのだ。読者にそんな事を強要するなんてのは好かない。脅迫だ。金と時間を奪う強盗だ。俺は呆然と立ち尽くし、見送るしか出来ない。

 本来はこんな感想すらブログに書くべきじゃないのかも知れない。

 莫迦な!そんな事があってたまるか。

 伝説も青春も感情もクソだ。報われろ、救われろ。願わくば幸せになれ。

営業

 掃除もせず、ハイデガーも読まず、午後のロードショーを見ていた。「バーティカルリミット」だ。ハイキング、登山ならまだしも雪山登山だとかフリークライミングだとかってのは、ちょっとどうかしてる人間の運動だと思う。後輩は普通の登山で稲妻が真横に走るのを見たと言っていた。狂った世界だ。

 映画の中でニトログリセリンの扱いが雑になってきた。そんなタイミングで、呼び鈴を鳴らしてドアを叩く音がする。部屋では全裸マンの俺は驚きながらパンツを履く。誰だろう?ドアを開けると、久しぶりに見る顔がそこにあった。

 

 梅雨明け前だと言うのに蝉の煩い、暑い日差しが目を焼くような日だった。

 

 「よぉ、久しぶり。元気にしてたか」

 フルネームと人づてに聞いた近況を思い出すのに数秒かかった。そいつは様子を伺った上で、再び口を開いた。

 「いま、テレビの仕事してるんだって?調子はどうよ」

 「ぼちぼちだよ。上がるか」

 「いや、たまたま近くを通りかかってね」

 「そうか。どうした、急に来たから驚いたぞ」

 「そうだよな、いや、悪い悪い。そう、俺、仕事再開したんだ。それで今、缶コーヒーを売ってるんだけど、ちょっと話だけでも聞いてくれよ」

 「缶コーヒーだ?何だ、営業かよ。まぁいい、話してみ」

 話をしてみろ、の合図で前のめりになる。

 「いやな、ちょっと割高のやつなんだけど、これが旨いんだよ。香料を使ってねぇ、保存料も一切無しだ。どこぞの広告で”原材料、コーヒー。以上”ってあったろ?あれみたいな話なんだけど、これが本当に旨いんだよ。飲んだ瞬間に舌にスパァン!って味が伝わって、香りが鼻腔の奥まで広がる。コーヒー飲んで目が覚める、とかじゃなくて心が、脳味噌が開く感じがするんだよ。俺も初めて飲んだ時はビックリした。変な薬でも入ってるんじゃねぇかと思ったくらいだ。それくらい旨い。どうだ、買ってみてくれねぇか」

 「そこまで言うなら考えたいが、一本いくらよ」

 「1250円」

 「は?1250円?缶コーヒー、一本で?」

 「そうなんだよ、味が落ちないように缶にもパッキングにも工夫してるからそれくらいかかっちまうんだ。俺も頑張って豆の厳選したんだ、このロット。良かったらでいい、是非買ってくれ。そんで、飲んで旨かったらSNSで拡散してくれ」

 蝉がひときわ大きく鳴き声をあげた気がした。

「財布、とってくるよ」

 汗がひと雫、頬を伝って落ちて行った。

 

「よぉ。久しぶり。元気してたか?俺、仕事再開したんだ。今さ、この水売ってるんだ。1000円だよ。缶は大手メーカーが作ってて、プルタブの作りもこだわってるんだ。”量子力学に基づいて元素からしっかしと考えました。ビタミン、ミネラルを豊富に含んだ硬水と軟水をブレンド。舌にしっかりと残る水素の味わいを是非楽しんで下さい”よかったら、買ってよ」

 男はまくし立てる様に言った。俺は事態が飲み込めない。「え?」と聞き返すと、男は更に別の販売スケジュールを言い出した。

 「再来月の話なんだけど、今度は月半ばから白湯を売り出すんだ。こっちも凄い人達が集まって作ってて、暖めても元素が壊れない様になってるんだ。こっちは缶のデザインが凝ってるから2500円なんだけど良かったら予約するから言ってくれ。年末にはコーヒーも売り出す。こっちは値段も未定なんだけど、興味があったらLINEしてくれたら予約いれておくよ」

 「待て待て、悪い、話が飲み込めねぇ。何だって?水が1000円?そのサイズで?」

 「そう、缶のデザインにもこだわったんだ、見てても楽しめる」

 「そうじゃねぇって、その水が何なのかもわからねぇし……あー、悪い。ちょっともう時間がねぇや」

 ドアが閉じられた。汗が染みるように皮膚から這い出た。

他人の妄想を嗤うな【書評ー「覚醒剤と妄想 ASKAの見た悪夢」/石丸元章】

 掃除は始まらない。ハイデッガーを読む事も再開しない。そうして積んだままの本を手にとって開き、ページをめくる。ごめんねハイデッガー。今日も暑いね。冷たいのでも飲むかい?アイスクリームだってある。そこの自転車に気をつけてくれ。野菜は無いんだ、残念だけど。

 

 「覚醒剤と妄想 ASKAの見た悪夢」を読んだ。石丸元章なる人物の書籍は今まで一度も読んだ事が無い。TLで見た勢いそのままに密林でポチった。本屋で買わなくなったな……。本は読むけど、本屋は天国かも知れないけど、何だか疲れる場所でもある。まぁその話は割愛する。

 

 この本は自身やASKAをはじめとする薬物中毒者に対して、最大限バリバリ最強No.1に好意的に物を言ってるなァと思う。誰だって何かの肩を持つ。自分だってそうだ。それはいいんだけど、序章開始2ページ1行目で脱字あんのはさすがにイラっとするよな。校正時点で気付いてくれよ、それくらい。ツイッターやってんじゃねぇんだしさ。

 

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「突飛な妄想」”と”いう言葉でくくるんだろ。クソが、イライラするぜ。

 

 読書と言う行為に熱が入って、読者もトリップした段階での気付かないレベルの脱字だとかエベレーターみたいな話なんだったらいいけど序章も序章、値踏み開始段階でそれをやっちまうんじゃ商品としてダメなんじゃないですか。この時点で僕はこの書物に好意を抱けないし、批判的な見方しか出来ない。

 俺はカネを出したんだ、内容はともかくそんな早い時点でトチってんじゃねぇ。怒髪天を衝くってやつだ。それがコア新書だろうが明名書房だろうが関係無い。いつまでもラリってんじゃねぇ、と思わずにはいられない。

 

 

 その怒りを笑いに転化する状況なのが、これを喫煙室で読んでいたと言う所だ。

 禁煙をはじめて4ヶ月が経った。Vapeは吸っても煙草は吸わない。ただVapeを吸うなら法的にどうあれマナーとしては喫煙室にいかざるを得ないし、そこに行けば美味しい美味しい副流煙が満ち満ちている。

 落ち着く匂いだ。ただいま、マイホーム愛してる。深呼吸をする。懐かしい匂いだ。茶色い壁紙。汗臭いマルボロ、甘いキャメル、俺の愛したセブンスター。ここは天国だ。コーヒーもある。最高じゃねぇか。……まぁ、まだしばらくは吸わないんだけど。

 

 禁煙と言う解脱芸。俺はニコチン依存症だ。そいつが喫煙室で深呼吸しながらヤク中が書いたヤク中に関する本を読んで2ページ目でキレているのだから滑稽だ。どっちがイカれてる様に見えるか。That's not my fuckin business. 

 

 この本は、それこそハイデッガーバロウズだとそこら辺の美味しい感じの素材をゴロゴロ転がして適当に炒めたって感じの本だと言う感想を持った。別に目新しい境地に連れていってくれる訳でもないし、「他人の妄想を嗤うな」「wwwで逃げるな、胸を張れ」と言う割にはキャラクター対談形式で進むこれは逃げを打ったスタイルで書かれているとしか思えない。

 そもそも「嗤う」文化を作り上げたのは80年代、90年代のカルチャーが完成させたのでは無いか?と思うんだけど違うのですか。コンプレックスから産まれたカウンターとしてのバッドテイストカルチャーでもって逆サイドを嗤っていたのでは無いか?彼らが信じた環世界をそうやって嘲笑しておいて、いまさら「俺たちの見た悪夢を嗤うな」と言うのは都合が良く無いか?と思うのだが、石丸元章について知っている事は殆どないので彼自身や彼自身が関わった文化、メディアを批判は出来ない。

 

 もしかしたら彼は”嗤う”ことをしないのかも知れない。すくなくとも今後はしないだろう。どんな馬鹿げた事でもそれにマルをつける、否定しないと言うポジションを取るならそう言う事になる。それは十字架だ。枷だ。呪いだ。

 ただ気に喰わないのは、それをキャラクター対談形式にした点なんだよな。いいじゃねぇか、真面目に論じろよ。ストレートを投げるんだ。茶化した対談形式にする必要なんて無いんだろう?wwwで逃げる必要が無いように、自己弁護をせず、ガードをせず、剥き出して行けと言うならそうするべきなんじゃないのか。

 小難しい単語を並べて矛盾しながらチャラチャラと述べているのが”他人の妄想を嗤うな”と言う環世界を尊重しあう多様性みたいな話なんだとしたら、俺には期待外れだったとしか言いようが無い。もっと遠くへ、早く、高く、連れて行ってくれよ。俺も中毒者なんだ。これは俺のセラピーなんだ。

 ビジネスならビジネスでいい。何だって構わん。ただドラッグの役割を果たすならちゃんとドラッグの役割を果たしてくれ。少なくとも、こっちがラリってぶっ飛んで誤字脱字が不明瞭な境界線を越えるまではやってくれるな。飛べるものも飛べなくなっちまう。興ざめだ。 

 

 2ページ目の脱字が無かったら批判的にならずに済んだか、と言う仮定は成立しない。それは妄想では無く現実の印刷物として目の前にある。これにイラつく奴とイラつかない奴、そもそも気付かない奴もいるだろう。そいつらはどうだっていい。お前らもこれでイラつく俺はどうだっていいだろう?なら俺の怒りを嗤うんじゃねぇ。俺はアギーレ、これは神の怒りだ。

 

 嘘だって何だっていい、俺を飛ばせるドラッグが正義で、これはそれに失敗した。それだけだ。

エモ

 ここ最近、叫んだ記憶が無い。いや、人生で何かを叫んだ事があるだろうか。剣道の試合で大声を出したり、電話越しに罵詈雑言を吐いたり、職務質問をしかけてきたおまわりさんと喧嘩したりしたけれど、絶叫と言うのは人生に存在しただろうか。

 エネルギーの放出としての絶叫では無い。感情の放出としての絶叫。みなさんの人生には存在しましたか?僕の人生にはそのような若くて青々しいエモい1コマは存在しませんでした。別のエモさならあります。

 

 映画や舞台の芝居に於けるエモさについて考えたり喋ったりした日だった。

 エモい、と言うのはどういう事なんだろうか。ギャーギャー叫べば良いのか、それとも耐えて耐えて零す涙さえあればいいのか、無音で絶叫してる顔から大ロングへのカット変わりを指すのか、まぁ色々あんだろうな。でもエモさであるとか、熱演ってのは近似値ですら無いのかも知れない。

 

 「ヒミズ」と言うマンガかある。古谷実と言う漫画家が、ハイテンションなギャグを使わずに画いた作品だ。ここで出て来るエモさ、と言うのは静的で冷たくて鋭い。少なくとも僕はそう受け取る。

 それと言うのもこのマンガが映画化された時に、主演二人がとにかくギャアギャアと叫びまくっているので辟易してしまった。豪華脇役陣の支えで完成している様な映画なのだ。叫べば良いってもんじゃあないと思うんだが、映画館で流れる最近の映画の告知でも若者は叫ぶ。とにかく叫ぶ。感情を吐露する方法は、叫ぶしか無いのだろうか。

 

 役者が叫ぶ時、それはどこに向けられているのだろうか。演出次第なんだけれど、舞台上で完結する絶叫だったり、見ているものに向けられる絶叫だったりする。観客に向ける、と言うのはある種の信頼関係が必要なんだと思うし、だからこそどこまでも作品を解釈しようと思うんだ。

 それが好意的過ぎたり、穿ち過ぎたりしてるのはあるかも知れないけど、観劇って言うのは座組と観客のタイマンなのだ。

 殺陣だアクションだ絶叫だエモだ、と言うのが簡単だとは言わない。練習、努力が必要なのは当然なんだけど、役者に依存したブン投げた演技と言うのが絶叫系芝居なのかも知れない。

 それを受け取った観客は、その熱量にあてられて何かを得た気になってしまうかも知れない。そして脚本家は演出家が本来伝えたかった事とは別の物を持ち帰ってしまうかも知れない。それは本末転倒だ。だから舞台上で完結させねばならない、と言うのも分かる。

 

 でもなぁ、信頼されたいよな観客として。

 これはもしかしたら”観客としての存在”と言う話かも知れない。観客は幾ばくかの銭を払い、時間を使い、労力を費やし、舞台を見る。双方向のエネルギー摩擦として、そこに存在していたいと言う事なのかも知れない。

 観客がいて、舞台があって、芝居が完成する。では観客のいない劇場で上演されるシュレーディンガーの舞台は成立し得るのか。繰り返されてきた芝居や実験の結果としてのそれならば、僕らの感情はどうやってアウトプットすべきなのだろうか。

 

 反響する絶叫。疑似青春のリフレイン。僕たちはドラッグを打ち続けるのか、それとも信頼される観客として舞台と取り組むのか。明日は、どっちだ。

本を読みました 【大相撲殺人事件  小森健太朗著/文春文庫】

 小学生の頃、課題図書より先に趣味で借りた怪談本を読んで親に怒られた。まぁそれも大人にしてみりゃ下らない本だったし、親としては児童書の様なイラストだらけの怪談本なんか後で読めと言う事だったんだろう。そんな出来事があったからか、あまり同時平行で読んだり一度読み始めた本を脇に置いて別の本を読んだりはしない。

 

 しかし、だ。ハイデッガーの「存在と時間」がなかなか読み進められない。その間にも買った本達は積み上げられ、部屋は散らかっていく一方だ。そして最近届いた、なんとも魅力的なタイトルの本それは……「大相撲殺人事件」である。

由緒ある歴史を誇る相撲部屋・千代楽部屋を訪れたアメリカの青年・マーク。ひょんなことから力士となるべく部屋住みの身となった彼だったが、そんな彼を待っていたのは相撲界に吹き荒れる殺戮の嵐! 立ち会った瞬間爆発する力士の体、頭のない前頭の惨殺死体、連日順々に殺されていく対戦力士、女性が上がれないはずの土俵上に生じた密室状態、身体のパーツを集めるがごとく発生する連続殺人、洋館に集まった力士達を襲う見立て殺人……。マークの名推理が土俵の上に冴えわたる! 新本格の旗手が贈る超変格ミステリ登場。

と言う背表紙の粗筋、僕の周りのツイッターユーザーの方は見たかも知れない。こんな面白そうなジャンクフード、手を出さない訳には行かない。個人的には超傑作B級映画の「マチェーテ•キルズ」を彷彿とさせるものがあった。

 届いてから数日は我慢したものの、遅々として進まぬ「存在と時間」に飽いてしまい、久々に「順番に読む」を言う自分のルールを破って手を出した。ごめんね、ハイデッガー

 

 結論から言えば、背表紙の粗筋ほどには速度やBPMの高い話では無かった。ブッ飛んでるはブッ飛んでるけど、どうにもヌルリとした速度でいまいち効き目が薄い。とはいえインターネット小説でもあるまい、速度はこんなものなのかも知れないな、などと思いながら角界の40%が死ぬ話を読んでいる。莫迦な話だ。それは間違い無い。

 角界の40%を失いつつ運行を続ける相撲協会と言う狂った世界。いや、世間もそうだし狂ってない奴なんか一人もいないこの小説世界は中々良い。良いんだけど、何かこう、もっと「ハイ」になりてぇーなァー!と思っちゃう。

 細かい相撲の話はまぁ良いとして、2時間サスペンスドラマの詰め合わせみたいな感じ(反本格サスペンスだとかオマージュだとかはさておき)なので、余裕があれば読んでも良いんじゃないだろうか。掃除はまだ始まってもいない。

観劇記録01

 ティーライオット2017 に依る舞台「トライアル」 を見てきた。久しぶりの池袋GEKIBA である。内容は徹頭徹尾、評価が極端に分かれるだろうなぁと言う印象を抱く中間層が多そうだった。つまり入り込みにくいと言う事なのかも知れない。客観的な立場になっちゃった。

 いや、観客なのだから客観的で良いんだろう。良いんだろうけど、神の視点でそれを見続ける、つまり舞台の上に「自分は彼/彼女だ」と言える存在がいないのは何とも遠いんだよな。

 

前説

 これからやる芝居の"了解"が取られている。「この距離で!この声量の!演ります!」と言うやつ。全編通して基本的にやかましいので、観る側に覚悟させるって意味では重要なんだろうな。

 池袋GEKIBAだと物理的な距離が非常に近いので、捉えられ方は機嫌の善し悪しに左右されそうだなァーと思う。ガッツリとした重めの前菜って感じがした。

 

内容

 前説で見た熱量で演らないと崩壊するタイプの話でした(褒めてます

 

 …………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。と始まる本編。全体の感覚としては「熱した火搔きが徐々に近づいてくる」んだけど、いまいち飲み込みきれない部分がある。不条理なゴールドエクスペリエンス的復讐、罪と罰と苦痛に関する申し立ては分かった。俺も映画を見たりしていると、悪い奴が死んで終るのには納得が行かない。苦しめ、死ぬより永遠に苦しめと思う。そこは良い。

 ただこの時代に病み系をやるの、そこそこ勇気がいると思うんです。度合いはともかく、身の回りにいるだろうその手のピープルを演るにはリアリティが必要だ。リアリティの平均値は嘘くさいし、どこかに寄せればそれも誰かにとっては大きな嘘になってしまう。

 おそらく、役者もある程度の研究はしたんだろうけど、一億総ビョーキ社会に於ける依存症とは何かと思ってしまうよね。そこら辺はどうなんだろう。「いま、これを上演する意味合い」みたいなものはどうだろうな。

 

 大きな話の筋としては、「対象を手元に置いて繰り返す復讐に依存する女性のホラー」なんだよね。霊媒体質とか、裸足の少女とかはそこら辺を分かりやすく"虚構だよ"と言う事にしてんだろう。多分、「時計が無いのにスマホがある」あたりの矛盾もそこで片付けてんだろうと思う。これは、夢なのだ。悪夢だ。

 集められたピープルの何かに対する依存や自覚の有無、治験、医師や"上"みたいなのが全体的に"誰かの見た夢"であって、青年と姉以外は非実在とまで言えるんだろうなぁ。映像だったらおそらくケンジローはミイラ化してたんじゃないの。俺だったらそうする。ベタだけど。

 

 映像と言えば、オープニングと差し込みに映像が使われていた。俺に小銭出してくれりゃーもうちょい良いの作りますよ。セイムが続くので単調なのは仕方ないとして、同じ構図でもカメラとレンズ、絞りを変えるだけで別物になります。今後の参考にして下さい。

 

 全員が妄想の産物だった、そんな事件すら無かったのかも知れない。そこまで行って初めて「わぁ、怖ぇ」となる。

 ただ広告研究ボーイズのレイプ事件は実際にあった訳だから、それを匂わせるのは何しら目的があったのかな。気まぐれか、主宰の知人か巻き込まれた事に依る復讐か、そこら辺は分からない。

 全員が虚構存在であった場合、それぞれは何のメタファーなのかな。そこがちょっと整理し辛い。母になりたい(成れない)、共依存するにしたってもうちょいマシな共依存がいい、願わくば"過去はどうあれ"幸福な関係性を築きたい、と言うそれぞれの姿なのかなー。それでも全員が”病んでいる”のは救いが無いが、見ている側だって大差ないだろう……と言う結論に辿り着く。まぁそれはオマケだろう。

 

 記憶を取り戻しつつある青年によって、復讐を軸にした依存性が崩壊しようとしている。アル中女性の旦那theリパーはそのメタファーなのかね(関係性を崩壊させる存在と言う意味)。ダメになったから総取っ替え、と言う訳だ。ただ、そうなると最後のケンジロー達が存在してる理由や意味がわからねぇ。実在する事に意味はあんのかな。新しいケンジロー達がいて然るべきなんじゃないだろうか。

 納得がいかないとしたらこの点なのだ。彼らは実在し、巻き込まれただけの人間なのか。それとも最初から虚構なのか。虚構であるなら不都合な(怪我をしている)などの汚点は取り替えられるべきじゃないのか。復讐をする女性が怪我と言う現実に固執する意味は無い筈なので、ここだけがどうにも納得がいかない。

 

 意味なんか無いです単なるサイコホラーです、と言うならそれで良いんだけどね。 内容はそんな感じでしたが終始、熱量のやたら高い芝居だったなァと思います。そこは評価値高いと思います。暑苦しい夏、思わず辞めた煙草に手を伸ばしかけました。

ない

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ブゥーーーーン……と始まる本編。感覚としては「熱した火搔きが徐々に近づいてくる」んだけど、いまいち飲み込みきれない部分がある。不条理なゴールドエクスペリエンス的復讐、罪と罰と苦痛に関する申し立ては分かった。件の返信1件のさリツイート1 いいね

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