マンガを読みました 【魔法騎士レイアース2 CLAMP著/講談社】
同僚に借りたまま、不本意ながらしばらく熟成させていたマンガを読んだ。
レイアースの無印も同僚に借りて読んでおり、そちらも当然ながら既に読み終わっている。ほぼ同時に美少女戦士セーラームーン無印も読み終えており、闘う美少女の確変期を駆け抜けようとしている気分だ。フィーバー、男性性の不要さ。勃たないチンコの物語達。少女よ、闘え。世界は美しい。闘う価値があるうちに。後ろ半分にだけ賛同してくれ。
少女マンガ達の歴史には詳しく無い。しかしとにかくこれが革新的なマンガであった事は教えてもらった。読んで感じるのは、とにかく物語のBPMが高い事だ。凄い早さで展開されていく。飽いたり、ボヤっとしたり、考えたりするヒマが無い。とにかくビュンビュンと音を立てて進んで行く。風きり音が見える。
少年マンガと違って、バトルそのものに重きが置かれていないので一撃必殺がブンブン出るし、敵は基本的にその一撃で死ぬ。外れたり効かなかったりはあんまりない。目的は””敵ヲ殲滅セシメヒタスラ幸福ヲ追求シ、ヨリ多クノ幸福ヲ得ントス””みたいな世界なので、敵とのバトルなんかは本当にどうでもいいのだ。苦労して倒すとかじゃない。効かない技は次ページになると意思の力で急激に強化され、一瞬で敵を貫く。
女性とは、そう言うものなのかも知れない。
彼女達は高いBPMで物語を突き進み、どんどん進化して幸福を追い求める。男達はよくよく後ろを振り向き、足跡なんぞをぢっと見つめたりするが、そんなロマンは幸福追求の前には何の戯れかと思われるんだろう。
レイアースに限らず少女マンガの歴史や、このマンガの内容に関してはもう今さら何かを語る事も無いんじゃないだろうか。歴史的背景や、マンガと言う連続性のあるメディアから読み解いている人達がいるだろう。
幸福とは誰かが為すものでは無く、みんなで作るものであるし、犠牲を受け入れてはならない。そこら辺については理想論と現実をどうするか、個々人で話していきましょう。なので僕は物語のBPMについて話をしたい。
無印の方はとにかく展開が早かった。
しかし2は違う。2巻と半分くらいまではやたらと空吹かしで煽りまくるF−1のスタートの様である。ウォンウォンと唸りを上げ、3巻の残り半分でBurzumかと思う程のメタリックでBPMの高い物語が急に展開されていく。もしかしたらアルルの女のファランドールみたいなイメージかも知れない。あの曲は最後の方に狂ったようなテンションになるが、それに似ている(気がする。
終盤に関しては前回の方が圧倒的に優秀で、続編である2は本当に「続編」に徹した作品なんだろうと思う。どう生きるかを選択させられる物語でありそれぞれがその中で成長する物語から、どう生きるかを自ら選択した上でその生き方と闘うと言う話だと思う。
だから必然的に選択肢を与えられると言うよりは、選択せねばならぬ事を理解して自分がそれに対してどう生きる事が出来るかを悩み、結論を出して生きる。よってBPMはゆっくりになるし、どうしたって最後は落ち着きを持たざるを得ない。
だがそれもブルーズと言う様な陰鬱さを伴うものでは無く、夏を告げる雨の様な、春の匂いがまだ色濃く立ち込める若々しい匂いがする。
好みが別れそうだなと思う。俺はエンディングも込みで前作の方が好きだ。決して恋ファックとか思ってるからじゃない。本当だ。あんな美しい世界に俺の様な輩が存在していい訳無いだろう。きっとそれを許されるから尚更辛いんだ。だから放っておいてくれ。
誰が言ったか忘れたが、「ロックはデブで不細工で友達のいないミジメな奴の為の音楽だ」と言うのがあるらしい。俺の為の名言だ。俺はライブには行かない。行けない。あれは素敵な奴らの為のお祭りだ。いや、俺の様な奴らしかいないのかも知れない。なら行ってもいいのかな。存在は許されるのかな。
とにかくこのマンガがロックであるかは知らない。いや、部屋で読む限りはロックなのかも知れない。ブルーズじゃない、パンクでも無い、ロケンロー。
俺だって美しい人と恋したいさ!!
モコナと言う存在が全知全能の神であると言う話。
それ自体は良いと思うんだけど、神がずもーんと大きな口を開けて飲み込むと言う絵面は笑えてしまった。それに神の摂理や存在に戦いを挑み、それを捩じ曲げると言う事で得る幸福を信じると言うのもある種の恐怖だが、全体幸福と言う宗教の恐ろしさを何となく感じてしまう。
それは大人と言う事だろう。それも汚い大人の話だ。あんな大人になりたくねぇと誰もがみな思っていた癖に!よォーそろォー!!
しかし神と言う概念を内包した可愛いと恐怖を同時に持つ存在、憧れと畏怖を表現してて納得しかない。そう言うもんなんだろうけど。
最後にどうでもいい話をすると””セフィーロ””と言う単語で思い出すのはマキシマムザホルモンの曲だが、あれはこれじゃなくて車の方だと言う話。非常にどうでもいい。