ごめんねハイデッガー

ハイデガーが読み勧められないので、他の本を先に読みます

インターネットしぐさ

 何かと接するにあたって、ルールやお約束と言うものがある。芝居や映画は基本的には現実や生中継じゃない。漫画や小説も新聞じゃない。食事にしたって、箸の持ち上げ方や外側から使うナイフやフォークなんて言うルールや約束がある。

 

 かつて、役者が男装をすればどうみても女であったってそれは男として認識する。表装を見ると言うお約束なのだ。それを近代リアリズムの観点から「莫迦じゃんwww」と批判するのは無粋だし、ルール違反だ。

 舞台と言う世界を作る作業を、役者と観客でやって初めて成立するそれって言うのは、当然ながらルールに守られている。映画にしても「空からサメが降るにはどれくらいの規模の風が必要か」と空想科学読本みたいな事を言うのは非常にダサいと言えるだろう。

 

 最近、インターネットもそうだよなァと思う様になった。特にツイッターと言う世界に於きましてはそのまんま適応される。「じゃあヤらせろよ」を額面通りに受け取るのは、ツイッター、それも特にフォロワー数の多いアカウントが発言主であった場合は危険だ。何段階も下方修正して見た方がいいよね。

 極端な事を言えばウケやすい。雑な方が乗っかり易い。速度が出易い。そうなると当然の結果として物言いはあぁなる。ツイッターはその観測者がいて初めて成立するので、「え、ヤらせないし」と言う反応は彼らのしている「ツイッター遊び」と言う世界では無粋な行為なんだろうな。

 もはや生活に混入してるツイッターでその差別化(または一体化)は不可能だし、だからこそ非モテの話とかで大盛り上がりする訳だ。彼らは煽ってるし、君たちはマジレスをする。俺たちは真ん中で「分かる、分かるォ」などと裕也に相槌を打つ安岡力也みたいな顔でWi-Fiを首に巻いてる。

 

 ツイッターの話を実生活ですると引かれる可能性は最大限考慮しましょう。

 

 ツイッターは基本的に虚構存在なので「うざい上司をやっつけた」「偉そうな客に反撃した」「同僚を」「彼氏彼女を」「外国人を」「日本人は」「うんこ」「ちんこ」と色んな話があって、それは非実在のものなので信じるのはあまりにも愚かしい。何故ならインターネットは嘘だからだ。

 じゃあ生活は本当ですか?と言われるとどうしようもないけど、ネットを本当として現実を嘘としてもいいんだけど、そこは乖離してる。違うんだ。だからネットで実生活をそのままアップしてもウケないし、逆にネットを実生活にそのまま適用しても失敗する。

 

 それは芝居でも同じだと思ってる。

 アニメ芝居をする俳優がいる。好きなアニメから近いシーンを選んで選択してリプレイしてる様に見えるんだろうけど、その演技がシーンから乖離しちゃってるのね。一つだけパーツが違うから浮いちゃう。でも演じてる本人はそのパーツが好きで、それが良いと思ってる。

 実生活でそう言う訳のわかんない事を突然にやる人も稀にいる。芝居がかった言い回し、動き方をする人いるよね。「わざとらしい」ってよく言われるんですよ。江川投手が昔のビールCMで言ってたよ。俺も存在がワザとらしいしな。

 

 何にせよ見てて痛々しいので、もうちょっと上手く生きていきたいよな。文化に接するのに必要なそれ相応の態度ってやつと共に。