ごめんねハイデッガー

ハイデガーが読み勧められないので、他の本を先に読みます

本を読みました【なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか 二村ヒトシ著/文庫ぎんが堂】

本を読んだ。二村ヒトシの本「なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか」っちゅー本です。以前に「日本人はもうセックスしなくなるのかも知れない」と言う本を読んで、二村ヒトシの話に何となく興味を持って今回も読みました。ちなみに、本書でも解説してる湯山玲子は嫌いです。帯の上野も嫌いです。二村監督の作品は、「二村作品か!」みたいに意識して見ていないですね。僕がよく見るAVの話はまた今度にしましょう。

 

今回の本は、湯山玲子との対談形式では無いのでムカつきは非常に少なかったです。あとはまぁ少しはモテたいからですね。WxHxM〜ワシかてホンマはモテたいんじゃ〜と言う曲があるとか無いとか。

 

 

駄目な人間を好きになる「心の穴」

 

駄目な男を好きになってしまう女性の内面(と鏡合わせの男の内面)みたいな話なんだけど、自己批判とかが大好きな人間にはちょっと退屈かも知れない。そんな事は分かってんだよォ!と思うんじゃないかな。俺は思った。

トラウマやコンプレックスと言う表現は使わないで「心の穴」と言っている。なんか喪黒福造の「ココロのスキマ」みたいだな。まぁ実際にそういう話なんだけど。

 

それと向き合わない、それを見ないできた人間に対しては刺さるんじゃないだろうか。他人の事は良くわかんねぇな。俺は衝撃でも何でも無かったんだけど、「それは避けてただけじゃねぇの?」と言われると、完全否定する自信はねぇ。いや、かつて俺に自信なんかあっただろうか。

 

「心の穴」でも「ココロのスキマ」でも何でもいいけど、相手を使ってそれを埋めようとすると失敗するよ!と言う話。身体にコンプレックスがあると言う「心の穴」を相手の美しさで埋めようとすると失敗するよニジムラ君!と言う話です。

その為には自己批判でなく自己需要が出来ると良いですね、と言う事なんだけど、それはそんなに簡単な事じゃないよね。ちょっと難しい。自己批判的に見た上で、それを受け入れるってのはちょっと難しい。また自分を騙す(見ないでやり過ごす)のとも違う。それが出来ると、いわゆる””大人””なのかも知れない。

 

 

それでも世界は回っている

 

それにしても女性世界のマーケティングは「男に愛される為の女」と言うロールを軸にしてる気がする。それを強調し過ぎて燃えてるケースが何回かあったし、それは男性から見てもウンザリする。同様に、女性の為の男性ファッションにはウンザリする。モテ服、モテ部屋、モテ髪、モテ肌、色々あるけど本当にウンザリする。

他人に愛される為にあるそれらの消費物、その金が回って俺たちは飯を喰い、おめおめと生きてるから更に腹が立つ。あぁ、みんな死ねばいいんだ。いや、俺が死ねば全ては終る。そうでもないか、環世界を変えればいい。解脱の時は近い。

 

全体的なロールの話はどうでもいいんだ。そんな事は、自分を頭が良いと思ってる奴らが話をすればいい。例えばジェンダーロールからの脱却、と言う話は最近もエマワトソンのスピーチで話題になったけど、そんな事は今はどうでもいい。

大切なのは俺とお前の話であって、社会がどうとか世界がどうとか、そうじゃないだろ。俺のロール、お前のロール、それは男女の性差がどうとかじゃないじゃん。

 

それでも世界は、ジェンダーロールを軸に回り続ける。残念かどうかは知らない。

ただ事実として、ジェンダーロールから降りたら負けると言う事だ。解放とは解脱でしかなく、持たないのなら求めないと言う概念があれば少しは楽になんじゃねーのって捉え方しか出来ない。ただ、それが産むのは敗北だ。

頑張って生きよう。俺は負けているし、箱ラスみたいなもんだ。

 

会話と言うセラピー

 

「俺と話が出来る人間がいい」と恋人の条件にしていたものがある。

俺の頭がどう、とかじゃなくて近い言語で喋れたりする文化的な背景がそんなにかけ離れていない方が良いなと言う事だ。でもまぁ、それって言うのは完全に「自分に不足しているものを相手との会話で補う」と言う役割を求めているんで、まぁ歳も歳だしそりゃあその条件厳しいよな。それが見た目にシフトした所で同じなんだけど。

 

まぁこの本を悪意で捉えると、「分相応」「身の程を知れ」と言う話でしかなくなっちゃうと思うのね。

 

「駄目な相手と一緒にいる自分の駄目な部分を見てみましょう」

「はい、心のここが痛いですね。そこに穴があります」

「どう言う理由でこの傷ができたか考えてみましょう」

「そうかも知れませんね、そんな自分を見つめてどう思いますか」

「じゃあ改めて、恋人との関係はどう思いますか」

 

じゃあその先に何があるって、別に何もねぇんだよ。ただ、自己需要をして生きていくしかねぇと言う話なんだ。まぁそりゃそうだ、これを書いている本人でさえ巻末の対話で色々セラピーしちゃってんだし。

だから、この本を読むと言う事が自己対話の切欠になって何らかのセラピーになると、多少の変化は期待出来るかもしれない。やり過ぎると死ぬし、それでも続けると解脱するしか無くなる。諦観じゃない解脱ってのはなかなか難しいよな。

 

”優しさ”とか”真面目さ””気遣い”は何の役にも立たない

 これは前から言ってるんだけど、”優しさ”とか”真面目さ”なんてのは何の役にも立たない。プラス評価の材料にもならない。求められる人間性じゃない。淘汰されるだけのクソ雑魚しぐさだ。

 

人間関係は良い誤解か悪い誤解、とある落語家が言っていたらしい。

”優しさ”とか”真面目さ”って言うのは、その中の””良い誤解””を受ける確率を多くて3%くらい上げてくれる程度のものだと思う。デメリットは利用され易い事と、その”優しさ””真面目さ”を発揮しなかった時の悪評などを見ればわかるでしょ。

 

要領が悪いと言えばそれまでなんだけど、それだけじゃないでしょ。そこにはそいつのロールがあり、そいつはそこから基本的に脱却出来ない。ジェンダーロールより更にタチが悪いロールだ。

「そんな人間だとは思わなかった」なんてのは勝手に誤解してた奴が吐くセリフだ。本当に死ぬほど不幸になればいいと思うよな。優しくすれば付け上がり、利用しておいて「え、優しく無い」みたいな顔をする奴ら。頼む、不幸になってくれ!って思う。

 

別に評価されたいんじゃないし、同じ様にして欲しい訳でもない。ただ利用されたくないし、勝手に俺を買いかぶっておいて裏切られた様な顔をしないで欲しい。お前らが好きな”優しいひと”ってのは”都合が良い人”と言う自覚を持って欲しい。俺は頑張って生きるよ。

 

大体、そんな”優しさ”だとか“真面目さ”だとかを持たなきゃ生きてこられなかった程度のクソ雑魚なんだよ。強い奴はそんな事をしない。雑魚だからするんだ。分かるだろ?お前らは幾らジェンダーロールからの解放を叫んだ所で、クソ雑魚を愛したりはしない。何故ならクソ雑魚は視界に入らないからだ。

 

性欲は恋じゃない!そんな事を言ったって

 

そもそも関係性か築けている上での話をこの本はしているので、それ以前の話をしないと俺を含めクソ共にとっては厳しいよな。

コミュニティー内での恋愛、失敗即死なので本当に辛いし。自分が傷つくのが怖い、とかじゃないんだよ。それが皆無とは言わないけど。じゃあ他にコミュニティが有る買って言うと、少ないか無いか。それで、サークルを売る企業もあったりするんだよな。反吐が出るぜ。しかし莫迦が頭良いフリして喋るの疲れてきたな。

 

まぁこの本で言う自己需要、基本的には解脱に近いと思うんですよ。考え方の変換と言う意味でね。悟りを開く(自分の心の形を知る)みたいな感覚。そこで産まれるのが受容か諦観かは知りませんし、責任も持てませんけど、そう言う事だと思うんですね。

そう言う意味では面白い本じゃないです。つまんないです。まぁ有名人が「俺は経験的にこう思ったんだ」ってだけの話ですし、何かの参考になるかも知れませんね、と言う程度だ。絶賛するのも分かんないな。

 

女性向けに書かれたから自分を落とし込みにくい、と言う話もあるだろうが、俺がそうしなかったってのもあるでしょ。同化させるのは簡単だけど、解決しないと分かっているものに落とし込んでも仕方無い。頑張って生きるしかない。

 

 

 

職場のガールAが普通に口をきいてくれる様になったんだけど、ガールBから何らかの敵意を感じるんだよな。まぁいいか。

 

 

 

追記

書いてない事は読めない、と言うのを思い出した。

俺も優しさを使って他人を利用したりするし、優しさを伸ばした代でそこら辺を見込んで何かする事がある。まぁ、お互い様だわな。

 

いや、マジにそうなんだよ。そう言う事なんだ。だから、頑張っていきましょう。