ごめんねハイデッガー

ハイデガーが読み勧められないので、他の本を先に読みます

浅草ロック座に行ってきたんだ

夏休み。大阪から友人が来た。ここ何年かは遠出をしていたが、つるんでるメンバーが立て続けに結婚したので俺とそいつだけが残った。そうなると遠出も何だかなと言う事になり、都内の観光に赴く事にした。

 

多摩川競艇場や新宿末広亭大井競馬場など存在を知っていても行った事が無い場所に行く事にした。その一環で、浅草ロック座に行った時の話をしたいな、と思う。どんな所かは色んな記事が出ているので、僕はその時に発生した感情などについての話をしたい。そういう風に考えてこの記事を書いています。

 

緊張

つくばエクスプレスの浅草駅を降りると、もう目の前にロック座がある。ストリップ童貞らしく、一丁前に緊張したいのだがそんな暇も無い。

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中に入り、設置されたパネルを見ながら「この子たちが全裸で踊るのかぁ」などと想像しながら階段を昇っていく。受付のオジサンが凄く無愛想で少し緊張した。チケットもぎりのお兄さん、普段は優しチャラそうだけど怒ったらメチャクチャ怖い人なんだろうな、と言う感じもした。

 

劇場の重い扉の向こうからは、重低音の効いた音が聞こえている。

お兄さんは「すぐに入りますか?」と言う。一日4ステージのうち、最初のステージは既に始まっていた。入れ替え制では無いので、まぁ見逃した部分は後で見れば良かろうと思いすぐに入れてもらった。扉を開けると、そこは世界だった。

 

極彩色の春情疾走

綺麗なお姉さん達が踊り、服を脱ぐ。照明で暗闇に浮かび上がる肢体。春情は煽られ、体中の血液が沸騰して逆流する。視野狭窄が起こる。目が離せない。

 

「ゲージュツ的で……」などと言うがそうじゃない。エロど直球だ。美しさはあると思う。ただそれがアートかと言われると俺はそうじゃねぇと思う。少なくともポコチンをバッキバキにして「こ、これはゲージュツですね」などと言う気にはなれない。ゲージュツとかアートとか言うのも違う、そうは呼ばせない力強いエロがある。俺はそう感じた。(お前がポコチンを大きくしながらゲージュツだと言うのなら俺は否定しない)

それは偶像崇拝に似たエロさだ。宗教だ。泥臭く熱っぽい原始的な匂いだ。社会性を脱いだエロさだ。それでもお前がゲージュツだアートだと言うのなら、勝手にしやがれ

 

ムカつき

台風が如く渦巻く春情。それを捩じ伏せる様に打つ手拍子。音は少ない。見回せば仏頂面で全裸のお姉さんを眺める観客たち。せっかく異世界に来たと言うのに、鼻糞みたいなプライドの所為でその流れに乗れない哀れな男たち。

手を打てよ。ビートを刻め。

お前の春情は見抜かれているんだ、格好をつけるなよ。願え、もっと見たいと。こっちに身体を向けてくれと。格好つけてふんぞり返るな。前のめりに手を打て。手拍子を打つ事でエロに沈んだ惨めさを晒すんじゃない。手拍子を打たない事で惨めさが浮き彫りになるんだ。打て!!大きく!!お前の欲望の音色を響かせろ!!さぁさぁ皆さんお手を拝借!!

 

冷静ぶってる奴がムカついた、と言う話です。

 

憧憬と羨望と嫉妬と憎悪

美しい肉体がそこにある。手足の長さ、脂肪の多い少ないと言う概念を超越した美しさがある。それは宗教的なものだろう。彼女たちの自尊心がそうさせるのか、俺の春情がそう見せるのか、それは分からない。ただ美しい。観音様を見ながら弥勒菩薩を連想する。莫迦だな、そんな事を考えるのも無粋だ。

 

俺の肉体コンプレックス。美しさに対する憧憬。羨望。欲しい。触れたい。濁流の様な春情。彼女らに触れてきた存在に対する嫉妬、憎悪が瞬間的に明滅する。そこは煉獄の入り口だ。ロクな事にならない。俺は引き返す。いや引き返しても無駄だ。

仮に俺が彼女らの様な存在に触れた時に、その美しさを損なうのでは無いだろうか。その美しさを阻害するだろう。ならば俺はその美しさの前に存在するべきでは無い。

 

全裸、と言う状態。俺は俺としての存在をそこに許された瞬間。ただその全裸は劇場で行われているショーであって俺だけのものでは無い。彼女達は女神や天女の類いなのかも知れない。俺は愚かな信者なのだろう。

崇拝の様な感情で春情を覆い隠す。無駄だ。崇拝に近い感情は瞬時にして燃え尽きる。それでも俺と言う存在の醜悪さは彼女達の美しさを阻害してしまうだろう。触れたいが、その瞬間に俺が勝手に作り上げた彼女達の美しさは瓦解する。それではその美しさに意味が無い。それならば俺は春情から繰り出す手拍子で盛り上げるだけだ。個を殺せ。彼女達の美しさを支えるにはそれが必要だ。

 

結果的に行き着いたのは案外とマゾヒスティックな感情だった。

 

錯乱坊

ダンサーのお姉さん達は、全員が全員美しい肢体の持ち主であるとか顔面の造形が芸能人みたいであるとか、そう言う事じゃない美しさを保持しているんだと思う。振る舞いに日常性が見え隠れする、その匂いもエロいし美しい(だからこそ俺がそ美しさを阻害するのでは、等と言う馬鹿馬鹿しい考えが入り込む余地が出来てしまう)。

 

え?女性は女神様なの?みんな?

ストリップ劇場を出て街を行く女性達を見ながら全員が女神様に見えた。何も脱げと言うのでは無い。舞台に立てと言うんじゃない。ただ、みんなその美しさを内包した存在なのだろう、誰かにとっての女神たり得る存在、と言う可能性を持っているのだろう。そう思った。

 

滑稽さ

全体的に滑稽なんですね。エロそのものが滑稽でもあるとかはまぁいいんだけど。

音楽が鳴り、それに合わせて決めポーズを取る女神が持つ観音様が御開帳される。湧き起こる拍手。滑稽さそのもの。無論俺も拍手をしている。何だったら他人より1テンポ早いくらいだ。

 

そもそも僕が彼女らの様な美に魅了される事も滑稽だ。俺が彼女らの様な存在に触れたいと思う事(能わぬ事の悲劇性)が滑稽だ。とても滑稽だ。それでも羨望し、憧憬を抱え、春情を捩じ伏せて席に座り鑑賞を続ける滑稽さ。

劇場の外に出て女性を見ては「あなたもその美しさを内包していますね」等と思う事も滑稽だ。爆発寸前の火薬みたいな春情を持て余しているのも、ソープランドにも行かずこんな話をしているのも滑稽だな、と思っています。滑稽だと言う事で自尊心を保とうとしているのも滑稽だし、はぁ〜〜〜〜セッ

 

終了

そんなこんなで面白い経験をしました。

ショーは「Earth Beat」と言うタイトルで世界一周感のある舞台でした。9景であるロシア感のある舞台をしていた舞台(ダンサー:藤月ちはる)が俺は一等好きでしたね。手拍子の打ち易さ、乗り易さ、可愛さもそうですが、スレンダーなスタイルが好きです。

2景の回り続ける舞台(ダンサー:武藤つぐみ)のショー、いつまで回転してるのかと思ったら最後まで回転してたの凄いし、メジェド感のある布が遠心力でふわっとして中が見えるのも良いし、回り終わって舞台をハケる時に足取りが普通なのも凄い。

サイドを固めるダンサー達も素敵な女性達ばっかりで、春情を持て余したまま言うのも何ですが、美しいなと思いました。春情込みで美しいと行っています。エロ、性欲、ヤりてぇありきで美しく、そこに不純な感情を混ぜるのも失礼だなと思います。

 

来月21日からは1001Nightsと言う舞台らしいので、興味あれば一緒に生きませんか?