ごめんねハイデッガー

ハイデガーが読み勧められないので、他の本を先に読みます

本を読みました【道徳の時間 呉 勝浩 著/講談社】

野暮用で6時間近く待たねばならん事があった。その場所にはネット回線も無ければ近くにコンビニも喫茶店も無い。長閑と言うのか過疎と言うのか、仕方なしに貴重な休日を””待つ””行為で潰さねばならなかった。安さと引き換えに、細かい時間指定の効かぬサービスを選んだ俺が悪いのだ。

 

家を出る際に、まだ積んだままである本の山を漁った。手に取ったのは「道徳の時間」だ。タイトルからして写楽せぇ、絶対に鬱陶しくて面白いだろうってな本だ。

読書を妨げがちな俺の相棒iPhone5はバッテリーが限界なので、精々が時計程度の役割にしかならない。たまにはテレビも携帯もPCも触らない、診察も回診も手術も無い読書だけの時間ってのがあっても良いだろう。

 

【道徳の時間 呉 勝浩 著/講談社

ストーリーはリンクを読んでくれ。文庫化されてるんだしネタバレも何も無いと思うが、まぁここでストーリーを解説する事もなかろう。

 

越智が美幸である、と言う事に対して衝撃は無かった。その分、陰影が強いコントラストになってるなァと言う印象だった。俺はクズ文化だとか地元コミュニティーみたいなものに対する感覚が薄いので、あまり同意したりできないんだけど、本当にこんな感じなんだろうか。鬼一家小名浜」を彷彿とさせる。

youtu.be

 

地獄と言うにはあまりにも現実味の無い乾燥の仕方は、俺がどれほど温室で育ってきたかみたいな話にもなるのであんま好かんけどな。実際にあるんだろうな。無いって事は無いだろう。そんな馬鹿な話があるか。世界はクソだ。

 

自分が空の容器である事に気付く瞬間ってのは多々あるだろう。空ならまだしも、虚ろになっているのを見つめ続けるってのも辛いものあがる。そしてそこに粘度の低い、怒りと言う名前のクソが注ぎ込まれる。だから皆、インターネットをやっては怒り続けるんだ。虚ろにはそのクソを放り込むのが一番コスパの良い行いだ。何の意味も無いと言うだけで。

 

クソったれた環境に対する同情(この感情もクソだ)、クソの様な理想……道徳に対する嫌悪や倦怠、錐揉みしながら加速する興味と言う名前のクソ、色んなクソが詰まった本で俺は嬉しくなった。上質のドラッグだ。ご機嫌に「ハイ」って奴だ。俺は小説を読みたかったんだ。こういう小説だ。良いぞ!!

 

己を賭す、と言う問いは中々に強力で非常に呪術的だ。凄いぞ、こんな覚悟をひっくり返せる訳が無い。生きる事を前提として自爆しながら進み続ける問いかけ、ゲロを吐く程に魅力的だ。俺はその後を知りたい。そうだ、俺は下衆だ。クソだ。頼む、だから知りたいんだ。その後のクソを。クソの奴隷だ。

 

道徳や正義を語りがたる奴は多いが、俺は正義にも道徳にもそんなに興味が無い。俺はそう言える環境に育ったし、そう言える環境で飯を喰えている。僥倖だろう。だから文学青年も気取れるし、賭場だとかの魔界入り口をウロチョロできる。惨めだが、まぁそんなもんだ。最高にクソったれた気分になったぜ。俺は嬉しかったよ。その態度もクソだが、まぁ認めるさ。