ごめんねハイデッガー

ハイデガーが読み勧められないので、他の本を先に読みます

源洋丸は幽霊船になったんだよとペッパー君は

その日の俺は機嫌が悪かった。

確かに俺は仕事上の判断ミスをした。もう七年目の労働者がやって良い間違いでは無かった。俺の怠惰だ。それでも、報告を怠ったのは俺では無いし、報告は彼の業務であってその怠惰を俺が咎められる謂れは無い。

 

自転車を転がし、俺は通りに面した回転寿司屋に入った。傾いた機嫌を直すには寿司が一番だ。高く無くていい。寿司を喰う、と言う行為で機嫌を立て直す必要が有る。

店に入ると、癪に触るひょうきん声でペッパー君が話しかけてきた。案内は彼がするらしい。彼に指示された席につく。軽い屈辱だ。

俺はノードを叩き、適当なネタを幾つか注文した。

早く届いた水っぽい寿司を摘みながら、俺は別の寿司屋の事を考えていた。

 

それは福島県の鹿島街道にある「源洋丸」と言う寿司屋だった。低価格で大振りのネタを出す、元気の良いにぎやかな寿司屋だった。新ネタや卵が焼き上がれば、ガランガランと鐘を鳴らして職人達が煽る、良い寿司屋だった。

だった、と繰り返すのは今はもうそうでは無いからだ。

 

その店は直接、津波被害を被った訳では無い。何が原因なのか分からないが、店は年月を重ねるにつれて活気を失っていった。職人も声を出さなくなり、新ネタの鐘も鳴らなくなった。乾いたネタはいつまでもレールを回り続けた。握りを頼めば、渡される時に倒れたりもしたし、職人はそれを気にも止めなかった。

静かな回転寿司屋と言うのは、ある種の異常空間だった。活気と勢い、元気さで胡散臭いネタや注文の合間に手を伸ばす皿もあろうに、とてもそんな気にはなれなかった。

元気の無い寿司屋は客足も悪く、店は閑散としていた。完全な悪循環だった。

店は一時閉店をした。

 

街は災害復興で、至る所に新築の一戸建てが並んだ。7000万御殿と呼ばれるものだ。原発のそれを含む震災被害に合った彼らに、最大7000万までの住宅を立てる資金が国から支給されていると言う事からそう呼ばれていた。

潰れる寸前だった土建屋を含め、土木業はバブル期にあった。20歳そこそこの男がレクサスを乗り回し、車屋にはスーパーカーが並んだ。大型のショッピングモールも建ち、海には訳の分からぬ巨大な橋まで建設された。何処にいくのか、とにかく寂れた田舎町を脱して都会へと進化したがる街になった。

港の海鮮丼屋に行けば、かつては下品なまでに盛られたウニいくら丼は小綺麗にまとめられていた。海辺は綺麗に整備され、来年にはシネコンのある超巨大ショッピングモールも建てるとの事だった。

街は都会になりたかった。

 

寿司屋は改装を入れて、新装開店をした。

もう寿司は回らなかった。カウンターが無かった。職人がいなかった。かけ声もなく、鐘も無く、元気もなく、単なる寿司レストランになっていた。

肝心の寿司は店の奥で機械が握ったシャリに適当な生魚が乗り、それが機械で送られて来るだけだった。機械は目の前で寿司を止めると、けたたましい音で喰えと命じた。

やる気も工夫も無い単なるウドンや蕎麦、カレーなどのメニューが増えた。東京と言う街にある「くら寿司」と言う店は、変わったカレーやジュース、いや寿司以外のメニューで成功している。それを真似たのだろうか?それならば、あまりにも愚弄していると言わざるを得ない内容だった。

解凍の不十分なマグロはとても美味しいと思える代物では無かった。

悔しさのあまり涙が出てきた。お前はどうしてそうなってしまったのだ。

 

目の前のノードが鳴り、俺は顔を上げた。俺が注文したメニューが間もなく届く、と言う事だった。飲み込んだネタはやはり水っぽく、それでも寿司を喰うと言う行為で少しでも機嫌を直さねばと思った。