ごめんねハイデッガー

ハイデガーが読み勧められないので、他の本を先に読みます

墓石

割と新しい本堂に入ると、そこはやはり線香の匂いが充満していた。天井からブラ下がる金色の飾りや黒と金色の卓などは幾らくらいするんだろうか。背に炎を背負った仁王像みたいなのが奥に二つ見える。他の仏像はよく分からない。

金色の袈裟を来た坊主がやってきて何かの手順だかを喋った。やがて読経が始まる。当然なにを言っているか分からない。長い指揮棒の様なものを振り回して何かを叩いたり、大きなりんの様なものを叩いたりする。コオオ――――――ンンン――――――ンンンン………………。曇った灰色の音と、通りの良い青色の音が同時に響く。真新しい堂には似つかわしくない音色だと思った。

シャンシャンとタンバリンを鳴らす様に、坊主が鈴のついた何かを鳴らす。やたらとリズミカルだなと思った。その坊主はヤーダーヤーダー、と歌う。歌う、と言う風に表現するのが正しいのかは分からない。バン、バンと低い音を立てて木魚が哭いた。思ったよりも低い哭き声だった。木魚の様な怪物がかつて存在していたら楽しいのにな、と思った。

坊主に指示されて焼香をする。最近の香炉も新しいギミックがついているのか、四角いパネルに刻みタバコの様な葉を落とすと、それらは勢い良く煙を立てた。

 

仏壇の中にある複数の位牌を一つに纏めたい、と祖父が言った。何十年分かの位牌は既に文字が読めなくなっていたし、祖父もホームに入ってしまって家の仏壇を管理しきれない以上はもう構わないとの事だった。

 

読経が終わると、連れ立って外にある墓の前まで歩いた。小高い丘の上にある寺とその墓地。特に小さく海が見える。建設の終わった大きな橋もあるが、あの先にはまだ何も無い人工島があると言う話を聞いた。

三つの墓に線香を備えた。坊主は再び長い棒で器を叩いたり、その器に入った水を墓石にかけたりしていた。坊主が唱えているのは般若心経の様に聞こえたが、似た様な経は幾らでもあるだろうし、その違いも分からない。

読経を終えた坊主がこちらを向いて一礼をした。

「本当に、石をどかしてしまうんですか」

縁石に座った祖父が咳をした。坊主の袈裟は、裾が何かで汚れた跡があった。洗濯をしないものなのだろうか。柔軟剤の匂いがする袈裟は確かに嫌だなと思った。

「えぇ、地震で倒れたら大変だと心配するもので。そうすると高さを揃えなければなりませんし、ならば墓誌も一杯でどうしようもないのなら、いっそ墓石もまとめてしまおうか、と言うもので」

父が答えた。

「一番古い墓石も、戒名の部分を削って骨壷に納めたら良いのだろ、そうしよう」

祖父が全てを遮る様な大声で怒鳴った。単に耳が遠く、会話のタイミングが掴めていないだけだが坊主は多少驚いた顔をした。

「そうですか……。私は昔、東京は中野にある寺にいたんですけれども、そこですと代々の位牌が仏壇にズラーっと並んでるんですよ。100年以上なんてのもザラですし、墓石も並べてあります。こっちはあまりしないんですかね、古い位牌は全部燃しちゃうし墓石も処分しちゃう。歴史がなくなってしまいますよ、誰がいたか分からなくなってしまう」

坊主は一気にまくし立てた。まぁ分からないでもないが、別にこちらは顔も知らない先祖の墓石や戒名なんぞあまり気になるもんでもないし残しておいても何かになる事は無い。大体、墓なんぞは流行らんのだろう。空きスペースも目立っている。

東京は大きな田舎なのだよ、と誰かが言ったのを唐突に思い出した。坊主が言った様に東京の人間達が位牌や墓石を残すのは、故郷を離れて暮らした人間の「私はここにいたんだ、その痕跡を残したい」と言う思いなのかも知れないと言う気がした。地元に残るなら、それに大きな価値は無いのだろう。

 

祖父が咳をした。

 

坊主と話合った結果、墓石の後ろにある卒塔婆や、その脇にあるもっと古い墓石は残す事にしたが、いま並んでいる墓石は予定通り低くしてしまい、そのうち一つは処分する事にした。祖父がそうしたい、と言うのだから止める道理は無い。祖父をホームまで送り、東京へと向かって車を走らせた。

 

首都高から見える炎のオブジェは塗り直し中だった。