ごめんねハイデッガー

ハイデガーが読み勧められないので、他の本を先に読みます

【午後のロードショー】『マチルダ』を鑑賞しました

人生への憎悪。憤怒。小銭をかき集めて生きろ。金杯は中山で負けて京都で勝った。10000円のプラス。小銭だ。金さえあれば苦労はしねぇ。お金があったら社長も怖くねぇ。お金があったら左遷も怖くねぇ。みんながお金の言うこと聞くから。俺の中の憎悪を売り飛ばして生きたい。山崎賢人は怒ったことが無いのなら、俺は彼に怒りを売りつけたい。俺は常に怒っている。金の他にカルシウムも足りない。散々な人生だ。

 

 

悔しいな。もっと金が必要だ。一撃必殺、逆転しなきゃならねぇ。明日はデムーロが帰ってくる。走れデムーロ、お前なら勝てる。明日はデムーロだ。でも明日は午後のロードショーがかからない。祝日だからな。

 

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マチルダ(Matilda)」1996年アメリカ。

 ボンクラ夫妻から生まれた天才少女が虐待されつつも恐ろしい校長先生をも倒す、と言うホラー映画。分類はホラー映画。絶対にファンタジーコメディーじゃねぇ、ホラーだ。これを笑えるのもホラーだ。アメリカンは気持ち悪いものを笑う。その精神構造がホラーだ。侵略者たち、悪い人たちだ。 

 

女性の校長先生は巨大で醜い。もしも先生が吉瀬美智子のように美しかったら話は変わっていただろうか。強さは砲丸投げで決めなくてもいい、空手や截拳道で強いのでも構わない。巨大なチョコレートケーキを喰わされたい。追放された先で、巨大な醜い校長先生はどうしたのだろう。それがコメディーなのじゃ無いか、落語とはそういう事じゃんじゃ無いのか。悪夢のような両親も最後には謎の確変を見せる。違う、そうじゃ無い。悪人が虐げられるのなら彼らも裁かれなければならぬ。

 

悪人は法によって、または暴力によって(その場合は死なない程度に)裁かれなければならない。死は終焉でしか無い。それは裁きじゃない。悪人にとって死は恐怖であり、解放だ。許されてはならない。裁きを受けよ。その日は近い。俺は口の中でいつもそう唱えている。不平、不満、呪詛。俺の人生には金もカルシウムもマグネシウムも足りない。助けて欲しいが、助かる方法も知らない。嘘だ、知っている。だがそれが正解かは知らない。そう言うもんだ。チャリに乗れば何割かは解決する。そう言うもんだ。