ごめんねハイデッガー

ハイデガーが読み勧められないので、他の本を先に読みます

【メモ】平成が終わるのこと

小室哲哉が引退を発表した。

 

平成が終わるんだってさ。俺にはよくわからない。でも平成ってのは終わるらしい。日頃は特に意識するでもない平成ってのが終わる。みんながそう言うんだからそう言う時代が明確に存在していて、そう言う明確な存在が終わっていくんだろう。

でも明日は垂直にやってくる訳じゃない。時代も垂直にやってくる訳じゃない。文化も垂直に生まれる訳じゃない。2017年は垂直に終わった訳じゃない。2018年は垂直にやってきた訳じゃない。

平成が終わる。それは垂直な出来事じゃない。

 

かつて昭和と言う時代があった。僕はその時代に生まれたし、最初の何年かを昭和で過ごした。そして平成がやってきた。平成がやってきた時の事は覚えていない。その平成が終わる。でもその時もきっと垂直じゃなかっただろう。

すでに昭和と言う存在は笑う対象になっている。昭和とはダサさ、ポップさの欠如、古さの象徴、そう言うものになっている。僕らはダサく、ポップさの足りない、古い存在なのだ。平成が終わる。僕たちも終わる。

 

平成が終わると言う事は新しい時代がやってくると言う事だ。僕たちは終わり、新しい世代が始まる。僕たちが通ったアナログな世界は既に遠い遠い過去の世界だ。ビデオデッキ、カセットテープ、使い捨てカメラ、電話ボックス、地平線の意味、ありとあらゆる単位、空気の密度、ひそのもの、幸せの構造、石のドラマ、正気の沙汰、記憶の彼方、諸悪の根源、点と線、原点、ニンゲン、じゃんけん。

 

携帯電話はスマートフォンになった。テープや円盤はデータになった。インターネットはダイヤルアップではなくDSLになった。4G回線が空を飛び、僕たちはどこでもインターネットを楽しめるようになった。マイコンと呼ばれたパーソナルコンピューターを持たないでも良くなった。平成はそんな時代だった。少なくとも僕にとってはそう言う時代だった。平成が終わる。そいつらは過去の技術になる。

平成。手の中の平成で調べればどんな時代か分かる。

平成。平成。平成。

それがどんな意味なのか手の中の平成は教えてくれない。

平成。平成。平成。

 

平成じゃない新しい時代がやってくる。僕たちの知らない時代がやってくる。もう僕たちがどうこうできる時代じゃないのは明白だ。僕たちはやってくる新しい時代の礎や肥料、参考資料程度の存在になる。水平にやってくる新しい時代を運ぶ車輪の下だ。苦しいかどうかは知らない。だけど僕たちはその下に行く。

僕たちは新しい時代の邪魔をしてはいけない。新しい時代のことを否定してはいけない。理解する努力をしなければならないが、上っ面の理解で済ませる事も許されない。僕たち昭和の人間は既に平成の敵であり、新しい時代の敵でもある。既に僕たちは老害だ。昭和アニメのリメイクを楽しむ老害だ。僕たちは既に邪魔なのだ。だから平成や新しい時代がやってくる事に抵抗してはならないし、邪魔をしてもならない。

 

平成が終わる。新しい時代がやってくる。

過度に感傷的になる必要もないし、変に希望を持つ必要もない。なぜなら平成は垂直に終わらないからだ。僕たちは垂直に終わる訳じゃない。ゆっくりと水平に終わって行くのだ。礎は肥料、参考資料になる為に水平に生きていくのだ。ダンスフロアに華やかな光、僕をそっと包むようなハーモニー、ルーズソックス、メッシュの髪、神様がくれた、とろけるようなファンキー平成。

 

平成。

僕はもしかしたら平成に憧れていたのかも知れない。僕が生きていたのは昭和の延長で、僕は平成に生きていなかったのかも知れない。ならば僕は次の時代を生きるのだろうか。それとも昭和が続くのだろうか。僕は次の時代をどう生きるのだろう。次の時代に何が出来るのだろう。そんなことを考えながら、平成が終わるのことを考えている。ヨォ、平成が終わるらしいぜ。あんたの平成はどうだった?