【午後のロードショー】『沈黙のジェラシー』を鑑賞しました
沈黙なのにセガールじゃないです。2018年1月25日放送。
『沈黙のジェラシー(Hush)』1998年アメリカ。
グウィネス・パルトロー主演。初手でおぱーいオーイエー。
お義母さんが怖いです、と言う映画。
アメリカでも田舎でスローライフ憧れ、みたいな感覚はあるのな。まぁ都会の喧騒を離れてゆっくりのんびり……なんてのは誰もが考えるか。田舎憧れなんてのは当の昔に捨てたよ。都会育ちのシティーボーイには無理だね、親父の実家だって三日と耐えられない。都内じゃ庭もいらねぇよな、あったって焚き火もできやしねぇ。まぁ、そういうもんだ。田舎育ちならまた話は違ったろうな。俺はいちいちキャンプ場にでも行かなきゃならねぇ。
まぁこの映画「実家が競走馬のファームやってる」ってのは笑っちまうな。フェブラリーS、勝ちたいもんですわ。頼んまっせ、神様仏様デムーロ様。まぁまだどの馬で出るかわかりませんけどね。
映像的に恐ろしい演出とかはあんまりなくて、単純にお義母さんが恐ろしいのね。嘘を吐く、謀る、恫喝するわでまぁ恐ろしいこと。子離れ出来てない嫉妬、と言うより目的と言う宗教の狂信者って感じがするし、人を騙す(嘘と吐く)人間にトラウマがあるので、本当に厭になる。なんだってお義母さんはそんな業を背負っちまったんだ。ホラーよりダメなんだよ、こういうの。だから他人と関わりたくねぇんだよ。
飛んだ高さが高ければ高いほど落ちた時には酷いことになると言う。積んだカルマが多ければ多いほど、それが崩れた時には酷いことになるだろう。とは言え、飛んだ高さが高いならば落ちるまでに時間がかかり、積んだカルマも崩れるほどになるまでには時間がかかるだろう。それがまた厭なんだ。ちくしょう、死ぬんじゃねぇ。一生苦しんでくれ、と思う。死は裁きじゃねぇよ、苦しみと言う必罰がなければ。そういう意味ではこの映画、最後になんとかハッピーエンドっぽくなるのでギリギリで救われる。
怖いよー。マジで狂った人間が本当に怖い。バグった人間よりも目的のある狂った人間が本当に怖い。助けてくれ、見ているのも厭になる。
でもそこまで狂える目的が存在してるっつーのも凄いよな、俺にはそんな大きな目的はないからな。頑張って生きてくれ、俺はこうやって死んでいくんだ。突如としてそんな気分にでもならないとやってられない感じになった。