ごめんねハイデッガー

ハイデガーが読み勧められないので、他の本を先に読みます

【禁煙】吸い続けないと言う意思の弱さ

兄弟、タバコを吸ってるかい?国が不当に隠し持ってるニコチンやタールを、日々の努力で取り返してる諸兄には頭が下がる思いだよ。俺は吸い続ける意思を持てなかった。煙草を吸うのをやめちまった。談志師匠の言う通りだ、俺は意思が弱い。

セブンスターズを吸っていた。重いやつだ。ソフト派だった。1日に1箱近いペースだった。少なめに申告してたから「三日で二箱」とか言ってたが、まぁ実際はほぼ1日に1箱だった。

15年吸っていた。禁煙して一年が経った。あの日から一本も吸っていない。やめて良かった事と言えば、コンビニで会計が1000円を超えないとか家を出る時に灰皿を確認しなくなったとか、そんな取るに足らない些細な事だ。別に馬券は当たらないし恋人もできない。人生は相変わらずクソだ。だが禁煙は続いているし続けていくだろう。

 

煙草をやめた理由

もうどこに行っても煙草が吸えない。神奈川県は全域で路上で吸えなくなった。三鷹市武蔵野市も駅前の喫煙所が撤去された。渋谷や新宿の喫煙所は確かにマナーが最悪だったと思うが、どんどんと規模が縮小されていっている。もはやどこに行っても煙草は吸えない。健康増進法が改正されて居酒屋での喫煙が厳しくなれば、どんどんと苦しい戦いを強いられる事になる。

 

「じゃあ今のうちにやめてしまえばいいじゃないか。」

 

俺はそう思った。そして煙草をやめた2017年3月3日、家系ラーメンを食べた帰り道。俺はファミリーマートの前で最後の一服をつけながら禁煙を決めた。残り数本が入った箱をベンチに置いた。その瞬間から一本も吸ってない。

  

禁煙と言う解脱芸

禁煙と言うのは一種の解脱芸だ。「吸わない」と言う価値観への変化を得る、体感すると言う事だ。だから言い切ろう、禁煙は解脱芸だ。禁煙が長続きしないと言うのは、その解脱感の弱さからくる挫折だ。逆に言えば、そこさえ抑えられれば禁煙ってのは案外続くもんだと思っている。これはダイエットなんかもそうだと思うよ。

 

禁煙はまず「煙草を吸いたい」と言う気持ちを肯定するところから始まる。目的は『吸わなくなる事』であって『吸いたいと思わなくなる事』じゃない。ここが大事だ。だから吸わないと決めたが、吸いたいと言う気持ちを否定する事はない。吸いたいものは吸いたいのだ。吸いたい気持ちは悪じゃない。それを認めてやるだけでグッと楽になるはずだ。煙草をやめたからと言って吸いたい気持ちまで禁ずる事は無い。ダイエットの場合は「食べたい」気持ちを認めよう。気持ちは罪じゃない。それだけだし、そこからだ。

 

外に出た時。飯を食い終わった時。ひと仕事終えた時。吸いたいに決まってる。そんな時は「あぁ、吸いたいなぁ」と呟けばいい。叫んでもいい。声に出そう。それでもダメならエア煙草を吸ってもいい。何回も、何百回も、何千回も繰り返したあの動作だ。一本の煙草に火をつけて、吸い込んで、吐き出す。フゥー。低血圧みたいな喋り方。フゥー。深呼吸にも似た行為。落ち着きは取り戻せたでしょう。

 

煙草を吸いたい気持ちがあるが、もしかして別に煙草そのものを吸わないでもいいんじゃないかな?という感覚が沸いたなら、その瞬間に禁煙と言う解脱芸は成功している。そう言っても過言じゃないだろう。

 

Vapeと言う道具

煙草依存の半分以上は、「吸って、吐く」と言う呼吸行為の依存だ。吸って、吐く。そこに多少のケミカルが相まっちゃいるが、基本的には吸って吐く行為に対する依存でしかない。深呼吸、エア煙草、それでもダメならVapeに手を出せばいい。初期投資は多少かかるが、iStick picoあたりなら手頃かつ無難にやれる。

Vapeは吸って吐けば煙が出る。視覚的にも満足度が高い。基本的にニコチンは無いがフレーバーが多く、かなり楽しめる。エア煙草じゃどうしてもダメだと思ったら買ってみる事を勧める。Vapeを吸っていると「やめられて無いじゃんwww」とニヤニヤしながら言う人間がいるが、気にしないでいい。人の失敗が嬉しくて仕方ない人間の言う事は聞く価値が無い。笑って聞き流せ、解脱した人間にはそれができる。

 

しかしいくらニコチンが入ってない(液体ニコチンを輸入して作った場合は別)とは言え、できれば路上でのヴァイピングは避けるべきだろう。ものによっては爆煙が出るので、非喫煙者からしたらいつも以上にイメージが悪い。そこら辺のマナーは守った方がいい。せっかくの解脱芸だ、格好をつけよう。

 

それでも吸いたい

煙草を吸う夢を見る。旨い。脳味噌はいつだってあの快楽を覚えている。いつだって吸いたい。それが煙草だ。ケミカルは抜けても脳味噌がその快楽を忘れることはない。覚醒剤だとかが止められないのはそういう事だろう。笑え、そして許せ。それは夢だ。

煙草を吸っている人間は、本当に旨そうに煙草を吸うんだ。吸ってた頃を思い出せば、別にそんなに旨い旨いと思って吸っていた訳じゃないが、こっち側から見ると本当に旨そうに吸うんだ。

それで重要なのは「あぁ、旨そうだな」と言う気持ちを否定しない事。吸いたい気持ち、旨そうだと言う気持ちを否定しないで受け入れる。自罰的な考えを持たないようにするだけでいい。「旨そうに吸うねぇ」と笑えばいい。「旨そうだなぁ」と笑えばいい。その気持ちは罪じゃない。吸いたくていいし、旨そうでいい。ただ、吸わない。

吸いたいけど、旨そうだけど。

 

別にやめてもいい事はない

空は変わらず青い。飯は美味く感じるかも知れない。コンビニで会計が1000円を超えなくなった。喫煙所を探さなくなった。出かける際に灰皿を何度も確認しなくなった。雨の日に煙草が切れて灰皿からシケモクを探さなくなった。ファミレスで喫煙席待ちをしたり、喫煙席のある店を探さなくなった。

変な咳が出なくなった。馬券は相変わらず当たらない。わかってたけど恋人はできない。タスポを無くしたが動揺しなくなった。ライターを忘れても動揺しなくなった。人と出かけて、ごめん一服させてが無くなった。

別にやめてもいい事はそんなにない。人生は劇的に変化したりしない。相変わらず人生はクソだ。戦う価値があるかも怪しい。だが禁煙と言う解脱は、また別のドラッグをくれる。可能性への挑戦だ。無限の可能性とは言わないが、微かな自信が呼び水になって何か別の道が見えるかも知れない。ただそれだけだ。それすらも怪しい。

 

それだけだが、俺は明日にでも禁煙を破るかも知れない。死ぬまで吸わないかも知れない。飲み会の時に一本吸うくらい別にいいんじゃねぇの?また吸って吐くと言う行為に依存しなけりゃいいんだよ。煙草との適切な距離感を保てればいい。そのくらいの気持ちでやっていこう。絶対に吸わない、なんて決めるのも馬鹿馬鹿しい。飲み会に出て一本吸ったくらいでギャーギャー騒ぐマヌケの相手をするのも面倒くさい。適当にやっていこう。ゆるく解脱していこう。それだけだ。

 

じゃあな兄弟。俺にはもう、どの副流煙がどの煙草かもわからねぇんだ。喫煙室は好きだけどね。