ごめんねハイデッガー

ハイデガーが読み勧められないので、他の本を先に読みます

浅草ロック座に行ってきたんだ

夏休み。大阪から友人が来た。ここ何年かは遠出をしていたが、つるんでるメンバーが立て続けに結婚したので俺とそいつだけが残った。そうなると遠出も何だかなと言う事になり、都内の観光に赴く事にした。

 

多摩川競艇場や新宿末広亭大井競馬場など存在を知っていても行った事が無い場所に行く事にした。その一環で、浅草ロック座に行った時の話をしたいな、と思う。どんな所かは色んな記事が出ているので、僕はその時に発生した感情などについての話をしたい。そういう風に考えてこの記事を書いています。

 

緊張

つくばエクスプレスの浅草駅を降りると、もう目の前にロック座がある。ストリップ童貞らしく、一丁前に緊張したいのだがそんな暇も無い。

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中に入り、設置されたパネルを見ながら「この子たちが全裸で踊るのかぁ」などと想像しながら階段を昇っていく。受付のオジサンが凄く無愛想で少し緊張した。チケットもぎりのお兄さん、普段は優しチャラそうだけど怒ったらメチャクチャ怖い人なんだろうな、と言う感じもした。

 

劇場の重い扉の向こうからは、重低音の効いた音が聞こえている。

お兄さんは「すぐに入りますか?」と言う。一日4ステージのうち、最初のステージは既に始まっていた。入れ替え制では無いので、まぁ見逃した部分は後で見れば良かろうと思いすぐに入れてもらった。扉を開けると、そこは世界だった。

 

極彩色の春情疾走

綺麗なお姉さん達が踊り、服を脱ぐ。照明で暗闇に浮かび上がる肢体。春情は煽られ、体中の血液が沸騰して逆流する。視野狭窄が起こる。目が離せない。

 

「ゲージュツ的で……」などと言うがそうじゃない。エロど直球だ。美しさはあると思う。ただそれがアートかと言われると俺はそうじゃねぇと思う。少なくともポコチンをバッキバキにして「こ、これはゲージュツですね」などと言う気にはなれない。ゲージュツとかアートとか言うのも違う、そうは呼ばせない力強いエロがある。俺はそう感じた。(お前がポコチンを大きくしながらゲージュツだと言うのなら俺は否定しない)

それは偶像崇拝に似たエロさだ。宗教だ。泥臭く熱っぽい原始的な匂いだ。社会性を脱いだエロさだ。それでもお前がゲージュツだアートだと言うのなら、勝手にしやがれ

 

ムカつき

台風が如く渦巻く春情。それを捩じ伏せる様に打つ手拍子。音は少ない。見回せば仏頂面で全裸のお姉さんを眺める観客たち。せっかく異世界に来たと言うのに、鼻糞みたいなプライドの所為でその流れに乗れない哀れな男たち。

手を打てよ。ビートを刻め。

お前の春情は見抜かれているんだ、格好をつけるなよ。願え、もっと見たいと。こっちに身体を向けてくれと。格好つけてふんぞり返るな。前のめりに手を打て。手拍子を打つ事でエロに沈んだ惨めさを晒すんじゃない。手拍子を打たない事で惨めさが浮き彫りになるんだ。打て!!大きく!!お前の欲望の音色を響かせろ!!さぁさぁ皆さんお手を拝借!!

 

冷静ぶってる奴がムカついた、と言う話です。

 

憧憬と羨望と嫉妬と憎悪

美しい肉体がそこにある。手足の長さ、脂肪の多い少ないと言う概念を超越した美しさがある。それは宗教的なものだろう。彼女たちの自尊心がそうさせるのか、俺の春情がそう見せるのか、それは分からない。ただ美しい。観音様を見ながら弥勒菩薩を連想する。莫迦だな、そんな事を考えるのも無粋だ。

 

俺の肉体コンプレックス。美しさに対する憧憬。羨望。欲しい。触れたい。濁流の様な春情。彼女らに触れてきた存在に対する嫉妬、憎悪が瞬間的に明滅する。そこは煉獄の入り口だ。ロクな事にならない。俺は引き返す。いや引き返しても無駄だ。

仮に俺が彼女らの様な存在に触れた時に、その美しさを損なうのでは無いだろうか。その美しさを阻害するだろう。ならば俺はその美しさの前に存在するべきでは無い。

 

全裸、と言う状態。俺は俺としての存在をそこに許された瞬間。ただその全裸は劇場で行われているショーであって俺だけのものでは無い。彼女達は女神や天女の類いなのかも知れない。俺は愚かな信者なのだろう。

崇拝の様な感情で春情を覆い隠す。無駄だ。崇拝に近い感情は瞬時にして燃え尽きる。それでも俺と言う存在の醜悪さは彼女達の美しさを阻害してしまうだろう。触れたいが、その瞬間に俺が勝手に作り上げた彼女達の美しさは瓦解する。それではその美しさに意味が無い。それならば俺は春情から繰り出す手拍子で盛り上げるだけだ。個を殺せ。彼女達の美しさを支えるにはそれが必要だ。

 

結果的に行き着いたのは案外とマゾヒスティックな感情だった。

 

錯乱坊

ダンサーのお姉さん達は、全員が全員美しい肢体の持ち主であるとか顔面の造形が芸能人みたいであるとか、そう言う事じゃない美しさを保持しているんだと思う。振る舞いに日常性が見え隠れする、その匂いもエロいし美しい(だからこそ俺がそ美しさを阻害するのでは、等と言う馬鹿馬鹿しい考えが入り込む余地が出来てしまう)。

 

え?女性は女神様なの?みんな?

ストリップ劇場を出て街を行く女性達を見ながら全員が女神様に見えた。何も脱げと言うのでは無い。舞台に立てと言うんじゃない。ただ、みんなその美しさを内包した存在なのだろう、誰かにとっての女神たり得る存在、と言う可能性を持っているのだろう。そう思った。

 

滑稽さ

全体的に滑稽なんですね。エロそのものが滑稽でもあるとかはまぁいいんだけど。

音楽が鳴り、それに合わせて決めポーズを取る女神が持つ観音様が御開帳される。湧き起こる拍手。滑稽さそのもの。無論俺も拍手をしている。何だったら他人より1テンポ早いくらいだ。

 

そもそも僕が彼女らの様な美に魅了される事も滑稽だ。俺が彼女らの様な存在に触れたいと思う事(能わぬ事の悲劇性)が滑稽だ。とても滑稽だ。それでも羨望し、憧憬を抱え、春情を捩じ伏せて席に座り鑑賞を続ける滑稽さ。

劇場の外に出て女性を見ては「あなたもその美しさを内包していますね」等と思う事も滑稽だ。爆発寸前の火薬みたいな春情を持て余しているのも、ソープランドにも行かずこんな話をしているのも滑稽だな、と思っています。滑稽だと言う事で自尊心を保とうとしているのも滑稽だし、はぁ〜〜〜〜セッ

 

終了

そんなこんなで面白い経験をしました。

ショーは「Earth Beat」と言うタイトルで世界一周感のある舞台でした。9景であるロシア感のある舞台をしていた舞台(ダンサー:藤月ちはる)が俺は一等好きでしたね。手拍子の打ち易さ、乗り易さ、可愛さもそうですが、スレンダーなスタイルが好きです。

2景の回り続ける舞台(ダンサー:武藤つぐみ)のショー、いつまで回転してるのかと思ったら最後まで回転してたの凄いし、メジェド感のある布が遠心力でふわっとして中が見えるのも良いし、回り終わって舞台をハケる時に足取りが普通なのも凄い。

サイドを固めるダンサー達も素敵な女性達ばっかりで、春情を持て余したまま言うのも何ですが、美しいなと思いました。春情込みで美しいと行っています。エロ、性欲、ヤりてぇありきで美しく、そこに不純な感情を混ぜるのも失礼だなと思います。

 

来月21日からは1001Nightsと言う舞台らしいので、興味あれば一緒に生きませんか?

本を読みました【なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか 二村ヒトシ著/文庫ぎんが堂】

本を読んだ。二村ヒトシの本「なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか」っちゅー本です。以前に「日本人はもうセックスしなくなるのかも知れない」と言う本を読んで、二村ヒトシの話に何となく興味を持って今回も読みました。ちなみに、本書でも解説してる湯山玲子は嫌いです。帯の上野も嫌いです。二村監督の作品は、「二村作品か!」みたいに意識して見ていないですね。僕がよく見るAVの話はまた今度にしましょう。

 

今回の本は、湯山玲子との対談形式では無いのでムカつきは非常に少なかったです。あとはまぁ少しはモテたいからですね。WxHxM〜ワシかてホンマはモテたいんじゃ〜と言う曲があるとか無いとか。

 

 

駄目な人間を好きになる「心の穴」

 

駄目な男を好きになってしまう女性の内面(と鏡合わせの男の内面)みたいな話なんだけど、自己批判とかが大好きな人間にはちょっと退屈かも知れない。そんな事は分かってんだよォ!と思うんじゃないかな。俺は思った。

トラウマやコンプレックスと言う表現は使わないで「心の穴」と言っている。なんか喪黒福造の「ココロのスキマ」みたいだな。まぁ実際にそういう話なんだけど。

 

それと向き合わない、それを見ないできた人間に対しては刺さるんじゃないだろうか。他人の事は良くわかんねぇな。俺は衝撃でも何でも無かったんだけど、「それは避けてただけじゃねぇの?」と言われると、完全否定する自信はねぇ。いや、かつて俺に自信なんかあっただろうか。

 

「心の穴」でも「ココロのスキマ」でも何でもいいけど、相手を使ってそれを埋めようとすると失敗するよ!と言う話。身体にコンプレックスがあると言う「心の穴」を相手の美しさで埋めようとすると失敗するよニジムラ君!と言う話です。

その為には自己批判でなく自己需要が出来ると良いですね、と言う事なんだけど、それはそんなに簡単な事じゃないよね。ちょっと難しい。自己批判的に見た上で、それを受け入れるってのはちょっと難しい。また自分を騙す(見ないでやり過ごす)のとも違う。それが出来ると、いわゆる””大人””なのかも知れない。

 

 

それでも世界は回っている

 

それにしても女性世界のマーケティングは「男に愛される為の女」と言うロールを軸にしてる気がする。それを強調し過ぎて燃えてるケースが何回かあったし、それは男性から見てもウンザリする。同様に、女性の為の男性ファッションにはウンザリする。モテ服、モテ部屋、モテ髪、モテ肌、色々あるけど本当にウンザリする。

他人に愛される為にあるそれらの消費物、その金が回って俺たちは飯を喰い、おめおめと生きてるから更に腹が立つ。あぁ、みんな死ねばいいんだ。いや、俺が死ねば全ては終る。そうでもないか、環世界を変えればいい。解脱の時は近い。

 

全体的なロールの話はどうでもいいんだ。そんな事は、自分を頭が良いと思ってる奴らが話をすればいい。例えばジェンダーロールからの脱却、と言う話は最近もエマワトソンのスピーチで話題になったけど、そんな事は今はどうでもいい。

大切なのは俺とお前の話であって、社会がどうとか世界がどうとか、そうじゃないだろ。俺のロール、お前のロール、それは男女の性差がどうとかじゃないじゃん。

 

それでも世界は、ジェンダーロールを軸に回り続ける。残念かどうかは知らない。

ただ事実として、ジェンダーロールから降りたら負けると言う事だ。解放とは解脱でしかなく、持たないのなら求めないと言う概念があれば少しは楽になんじゃねーのって捉え方しか出来ない。ただ、それが産むのは敗北だ。

頑張って生きよう。俺は負けているし、箱ラスみたいなもんだ。

 

会話と言うセラピー

 

「俺と話が出来る人間がいい」と恋人の条件にしていたものがある。

俺の頭がどう、とかじゃなくて近い言語で喋れたりする文化的な背景がそんなにかけ離れていない方が良いなと言う事だ。でもまぁ、それって言うのは完全に「自分に不足しているものを相手との会話で補う」と言う役割を求めているんで、まぁ歳も歳だしそりゃあその条件厳しいよな。それが見た目にシフトした所で同じなんだけど。

 

まぁこの本を悪意で捉えると、「分相応」「身の程を知れ」と言う話でしかなくなっちゃうと思うのね。

 

「駄目な相手と一緒にいる自分の駄目な部分を見てみましょう」

「はい、心のここが痛いですね。そこに穴があります」

「どう言う理由でこの傷ができたか考えてみましょう」

「そうかも知れませんね、そんな自分を見つめてどう思いますか」

「じゃあ改めて、恋人との関係はどう思いますか」

 

じゃあその先に何があるって、別に何もねぇんだよ。ただ、自己需要をして生きていくしかねぇと言う話なんだ。まぁそりゃそうだ、これを書いている本人でさえ巻末の対話で色々セラピーしちゃってんだし。

だから、この本を読むと言う事が自己対話の切欠になって何らかのセラピーになると、多少の変化は期待出来るかもしれない。やり過ぎると死ぬし、それでも続けると解脱するしか無くなる。諦観じゃない解脱ってのはなかなか難しいよな。

 

”優しさ”とか”真面目さ””気遣い”は何の役にも立たない

 これは前から言ってるんだけど、”優しさ”とか”真面目さ”なんてのは何の役にも立たない。プラス評価の材料にもならない。求められる人間性じゃない。淘汰されるだけのクソ雑魚しぐさだ。

 

人間関係は良い誤解か悪い誤解、とある落語家が言っていたらしい。

”優しさ”とか”真面目さ”って言うのは、その中の””良い誤解””を受ける確率を多くて3%くらい上げてくれる程度のものだと思う。デメリットは利用され易い事と、その”優しさ””真面目さ”を発揮しなかった時の悪評などを見ればわかるでしょ。

 

要領が悪いと言えばそれまでなんだけど、それだけじゃないでしょ。そこにはそいつのロールがあり、そいつはそこから基本的に脱却出来ない。ジェンダーロールより更にタチが悪いロールだ。

「そんな人間だとは思わなかった」なんてのは勝手に誤解してた奴が吐くセリフだ。本当に死ぬほど不幸になればいいと思うよな。優しくすれば付け上がり、利用しておいて「え、優しく無い」みたいな顔をする奴ら。頼む、不幸になってくれ!って思う。

 

別に評価されたいんじゃないし、同じ様にして欲しい訳でもない。ただ利用されたくないし、勝手に俺を買いかぶっておいて裏切られた様な顔をしないで欲しい。お前らが好きな”優しいひと”ってのは”都合が良い人”と言う自覚を持って欲しい。俺は頑張って生きるよ。

 

大体、そんな”優しさ”だとか“真面目さ”だとかを持たなきゃ生きてこられなかった程度のクソ雑魚なんだよ。強い奴はそんな事をしない。雑魚だからするんだ。分かるだろ?お前らは幾らジェンダーロールからの解放を叫んだ所で、クソ雑魚を愛したりはしない。何故ならクソ雑魚は視界に入らないからだ。

 

性欲は恋じゃない!そんな事を言ったって

 

そもそも関係性か築けている上での話をこの本はしているので、それ以前の話をしないと俺を含めクソ共にとっては厳しいよな。

コミュニティー内での恋愛、失敗即死なので本当に辛いし。自分が傷つくのが怖い、とかじゃないんだよ。それが皆無とは言わないけど。じゃあ他にコミュニティが有る買って言うと、少ないか無いか。それで、サークルを売る企業もあったりするんだよな。反吐が出るぜ。しかし莫迦が頭良いフリして喋るの疲れてきたな。

 

まぁこの本で言う自己需要、基本的には解脱に近いと思うんですよ。考え方の変換と言う意味でね。悟りを開く(自分の心の形を知る)みたいな感覚。そこで産まれるのが受容か諦観かは知りませんし、責任も持てませんけど、そう言う事だと思うんですね。

そう言う意味では面白い本じゃないです。つまんないです。まぁ有名人が「俺は経験的にこう思ったんだ」ってだけの話ですし、何かの参考になるかも知れませんね、と言う程度だ。絶賛するのも分かんないな。

 

女性向けに書かれたから自分を落とし込みにくい、と言う話もあるだろうが、俺がそうしなかったってのもあるでしょ。同化させるのは簡単だけど、解決しないと分かっているものに落とし込んでも仕方無い。頑張って生きるしかない。

 

 

 

職場のガールAが普通に口をきいてくれる様になったんだけど、ガールBから何らかの敵意を感じるんだよな。まぁいいか。

 

 

 

追記

書いてない事は読めない、と言うのを思い出した。

俺も優しさを使って他人を利用したりするし、優しさを伸ばした代でそこら辺を見込んで何かする事がある。まぁ、お互い様だわな。

 

いや、マジにそうなんだよ。そう言う事なんだ。だから、頑張っていきましょう。

禁煙とかvapeとか好きとか嫌いとか

 禁煙して五ヶ月が経ちました。煙草ですか?吸いたいです。禁煙開始直後の様に爆発的な吸いたさは無いけど、うっすらと吸いたい気持ちがずーっとありますね。残響の様な吸いたさ。割とよく耐えてる方だと思います。特技は痩せ我慢です。デブなのに。

 

 特にパッチを使ったり外来に通う訳でもなく、「気合いですかね」と言って笑う舘ひろし的な禁煙を続けております。でもやっぱり煙草は良い匂いです。喫煙室の匂い、あれこそ我が家って感じです。

 ガムも噛んでないし、飴も舐めてない。まぁVapeを嗜んでおりますけどね。口から煙が出れば何でもいいです。

 

 そう、Vape。水タバコとか電子タバコと言われてますが、液体ニコチンも入ってないので吸って吐くアロマ程度の認識ですが、発がん性云々も指摘されており、まぁ10割安全って訳でもねぇのかな。まぁタールもニコチンもねぇし、匂いも着かないので良いのでは?それでも喫煙室に行って吸うのがマナーなんだろうからそうしてるけど、喫煙所は良い匂いするよね……。

 

 

 そんな気持ちでiStick picoを吸ってたんですが、メックに手を出してしまいまして、ちょっとこのオモチャにハマりそうです。私が手を出したのはMirundusです。

 良いですね、重さと単純な構造で壊れる心配無し!オームメーターなんぞまで買って、コイルを巻いてコットンを詰めて……煙草吸いたくなるんですが、自分で色々組んだコイルで吸ったリキッドが旨いんですねぇ。

 

 禁煙成功にも貢献してるって記事もあるので、ちょっと見てみても良いのでは。

 

 

 それにしても禁煙とは解脱芸の一種だなァ、と思いますね。欲と言うより習慣との対峙なので、もろに修行っぽい感じです。外に出たり、飯を喰ったり、何かする度に「吸いたい」と言う気持ちを抱える。それは習慣なんであって、素直な欲求かどうかも分からない。

 減量にせよ禁煙にせよオナ禁にせよ、何かを耐えるゲームは割と得意なので、そう言う解脱芸を打つのはそんなに苦では無い。いや、それそのもは苦しいのだけど、それを楽しめるので何とかなるかな。それにしたって千日業は無理だよな。

 

 とにもかくにも、気合い禁煙継続中です。褒めて下さい。

 

***

 

 何日か前にここまで書いてたのですが、何か大変な事が始まりそうです。うわぁ、マジか。これ俺がミスったら友人にもその関係者にも泥を塗るやつですか。えぇ、大丈夫なんでしょうか。まぁなる様にしかならんでしょう。

 

***

 

 何か今期見てるアニメが恋愛してんなーって感じのを多く見てるんですけど、好きだとか嫌いだとか何だかもう良くワカンナイ感じになってきてますね。拗らせてますかね?拗らせてますね。

 最近インターネットで流行りのKKOですし、何か「俺みたいなんに好かれてても厭やろ」と思うし、まぁこのままフェーダーで絞られて行くのかなぁなどと思っておりました。パーヂされる側の存在ですしね!

 

 ジェンダーロール云々からの解放とかは分かりませんが、まぁ頑張って生存していきたいです。レック持ちなのでお店のお姉さんにも「きたねぇ身体してんだろ、ごめんな」と言うのも疲れたって話もしましたよね。疲れました。

 まぁ頑張って外科手術をしましょうね。イェア。

 

 ところでレックリングハウゼン持ちのみなさん、外科手術ってどれくらいの頻度で受けてます?僕は病院が遠いとか忙しいとかの理由でそんなに受けてないんですけど、指定難病医療圏を活用する方向で動き出したんで、ちょっと気になりまして。

 

***

 

 生存メモでした。

 ブログからmixi、そしてツイッターに流れてブログに帰ってきたの、何か一周した感じがするね。

捨て身ワンチャン

 ワンチャン。

 Give me a chance、最初も最後もない。一回でいい、的なアレ。

 セックスにかける情熱、体力、気力、根性、執念の延長線上にある概念。

 

 ネットアイドル的な人が、「泣いて断っても土下座でセックスお願いされた(その後、知人に仲裁してもらった)」と言う話をしてるのインターネットで見た。凄い土下座だ。俺には出来ない。

 泣いて嫌がる相手を土下座で説得して営むセックスってどんなのなんだろう?単なるゴリ押しだよな。もはやレイプじゃない最低限のラインを確保したいだけじゃんか!すげぇな。

 

 

 でも実際問題、そのくらいのガッツと気合いでどうにかなっちゃうセックスもあるんだろう。それも悪い方じゃなくて、良い方で。

 相手が泣いたりしないでポジティブにセックスを受け入れる。「そこまで欲しがられて悪い気はしない」みたいなのがあるのかは知らんが、まぁもうそこまでなら最初っから土下座無しでもイケるんじゃねぇの?と思うけど。

 

 

 ワンチャン。

 Give me a chance、最後にかけてみたいんだ。どこに?

 セックスしたい。ワンチャンあるかな問題。

 

 

 職場の飲み会に見目麗しいレディーやガール達が参加すると、普段は来ない方々も飲み会に参加する。毎度そうだと、ワンチャンあると思ってるのかね?と考えてしまうし、実際に聞いたら「(この職場では無いけど)過去にワンチャンあったから、まぁその気持ちはわからなくもない」との事だった。バックマウンテン。

 

 でも「セックスできる」と思う瞬間って、まぁ人それぞれだとは思うんだけど、一体どこにあるんですかね。押せばヤれるとかもそうだと思うし、薄着だ相談に乗った何だかんだって言うじゃない?でもさ、何だって相手の対象に自分が含まれていると思えるんだろうね。

 いや、その前提が間違っていて自分が相手の対象かはどうでも良いのか。相手は自分を受け入れるも何も無い。「相手とセックスする」んじゃなくて「相手を使ってオナニーする」みたいな感じなんだろうか。その瞬間に綺麗な肉体を使ったオナニーでも、本人が良けりゃいいのかね。まぁ、いいんだろうな。だって誰もそんな精神的な意味の話してねぇもんな。

 

 ワンチャンにしたってそうで、何を喰えばそのチャンスを感じられるんだろうね。相手のミス待ち?つけこんじゃう?良くわかんねぇけど。

 

 俺にしてみりゃ、良い方に””自分を勘定に入れる””ってのが分からないんだ。セックス出来る側でもねぇし、昇進する側でもねぇし、何だって基本的に選ばれる側じゃねぇ。自分を勘定に入れる側は、いままで選ぶ側だったのだろうか?それとも、セックスは選ぶ側に回れると思っているのだろうか。

 そりゃ願望はあるよ。選ばれたい。でも実際、「If I were you I will Do with me」って言えるか?マジで?すげぇなお前、その自信どっから湧いてくんだよ?鏡見てると吐きそうになるのに。お前の世界に鏡ってねぇの?ハハハ。

 

 もっと裏付けの無い自信を持った方がいいと言われた。

 でもそんなもん、雲を掴む様な話をされたって困るぜ。

 

 同性愛者の話だってそうじゃないっすか。「は?俺のケツ狙ってんの?」みたいなの、何で同性愛者は全方位穴狙いみたいな感じなんすかね?鏡と喋ってんのか?いや、鏡見てたらそんな事言えねーよな。

 自分にも好みがある。異性愛者だろうと何だろうと「仕事してればいい」なんつーのは嘘でさ、まぁ最低限のそれってあんじゃん。色々。多い少ないは別にして。

 

 ワンチャン。

 でもさ、ワンチャン狙うってミスったらリスクでかくない?所属するコミュニティーでのパワーバランスや隠匿方法にもよると思うけど、割とリスクでかいと思うんだよな。まぁ性欲に限らず、恋心すらリスクでか過ぎると思うけどね。

インターネットしぐさ

 何かと接するにあたって、ルールやお約束と言うものがある。芝居や映画は基本的には現実や生中継じゃない。漫画や小説も新聞じゃない。食事にしたって、箸の持ち上げ方や外側から使うナイフやフォークなんて言うルールや約束がある。

 

 かつて、役者が男装をすればどうみても女であったってそれは男として認識する。表装を見ると言うお約束なのだ。それを近代リアリズムの観点から「莫迦じゃんwww」と批判するのは無粋だし、ルール違反だ。

 舞台と言う世界を作る作業を、役者と観客でやって初めて成立するそれって言うのは、当然ながらルールに守られている。映画にしても「空からサメが降るにはどれくらいの規模の風が必要か」と空想科学読本みたいな事を言うのは非常にダサいと言えるだろう。

 

 最近、インターネットもそうだよなァと思う様になった。特にツイッターと言う世界に於きましてはそのまんま適応される。「じゃあヤらせろよ」を額面通りに受け取るのは、ツイッター、それも特にフォロワー数の多いアカウントが発言主であった場合は危険だ。何段階も下方修正して見た方がいいよね。

 極端な事を言えばウケやすい。雑な方が乗っかり易い。速度が出易い。そうなると当然の結果として物言いはあぁなる。ツイッターはその観測者がいて初めて成立するので、「え、ヤらせないし」と言う反応は彼らのしている「ツイッター遊び」と言う世界では無粋な行為なんだろうな。

 もはや生活に混入してるツイッターでその差別化(または一体化)は不可能だし、だからこそ非モテの話とかで大盛り上がりする訳だ。彼らは煽ってるし、君たちはマジレスをする。俺たちは真ん中で「分かる、分かるォ」などと裕也に相槌を打つ安岡力也みたいな顔でWi-Fiを首に巻いてる。

 

 ツイッターの話を実生活ですると引かれる可能性は最大限考慮しましょう。

 

 ツイッターは基本的に虚構存在なので「うざい上司をやっつけた」「偉そうな客に反撃した」「同僚を」「彼氏彼女を」「外国人を」「日本人は」「うんこ」「ちんこ」と色んな話があって、それは非実在のものなので信じるのはあまりにも愚かしい。何故ならインターネットは嘘だからだ。

 じゃあ生活は本当ですか?と言われるとどうしようもないけど、ネットを本当として現実を嘘としてもいいんだけど、そこは乖離してる。違うんだ。だからネットで実生活をそのままアップしてもウケないし、逆にネットを実生活にそのまま適用しても失敗する。

 

 それは芝居でも同じだと思ってる。

 アニメ芝居をする俳優がいる。好きなアニメから近いシーンを選んで選択してリプレイしてる様に見えるんだろうけど、その演技がシーンから乖離しちゃってるのね。一つだけパーツが違うから浮いちゃう。でも演じてる本人はそのパーツが好きで、それが良いと思ってる。

 実生活でそう言う訳のわかんない事を突然にやる人も稀にいる。芝居がかった言い回し、動き方をする人いるよね。「わざとらしい」ってよく言われるんですよ。江川投手が昔のビールCMで言ってたよ。俺も存在がワザとらしいしな。

 

 何にせよ見てて痛々しいので、もうちょっと上手く生きていきたいよな。文化に接するのに必要なそれ相応の態度ってやつと共に。

 笑いのカイブツが一番アクセス良いでやんの。でもどうなんですかね、一般的に面白い記事ですか?感動もするな、共感もするな、なんて言ってますけど。でもよく考えて見て下さいよ、あンたは自分の絶望をコンテンツ化も出来ないだろうし、それを見て「感動しましたァ」とか言われたらムカつくだろ。

 

 共感とか良くわかんねぇんだ。「言いたい事は何となくわかる気がする」程度の事から「それな」みたいなのまであるけど、シンパシー、そいつはそんな簡単に発生してしまうのか。そしてそいつは信用していい感情なのか。

 人間はとにかく感情を寄せたがる。特に弱者にだ。だから単純に老いた人には優しくするし、身体機能に何らかの不具合があるとされる人にだって優しくするだろ。Lost in Translation!! あの映画は嫌いだが、訪日外国人にだって基本的には誰もが優しい。彼らはこの日本語を話す国ではマイノリティだしな。

 

 そんで昨日は非モテの話題で盛り上がりましたね。

 

 非モテにも当然、グラデーションがあってポップ非モテとガチ非モテがいる。そしてツイッターと言う環境でアルファが言ったおもしろオカシイ発言にまるっと乗っかってスピード感が出た結果、ああなった。

 

 半分は煽りだと思うんですね。別に本気でヤらせろと言ってる訳じゃねぇ。ただ、お前らみたいに人間関係が得意じゃねぇし、会話もロクにできねぇが、それでも友達になろうってお前それマジで言ってんのか?と思うのは当然だよな。

 お前の楽しい人生に於ける珍獣枠を当てはめてコンテンツ消費してんじゃねぇよと思う事はある。だったら最初から何もするなよ、救いの手なんかいらねぇよ、覚悟も無しに気持ちを寄せんじゃねぇ、と言う叫び。

 

 そう、君は悪く無い。俺も悪く無い。だから君は君の無実を証明しなくていい。

 

 「あっそ、じゃあ勝手にしな」が一番正しい解答だと思うんだ。勝手にするさ、人生最下位。コールドゲーム目前だ。じゃあ死なせてくれよ、死ぬなと言うな。そうだろ?だから俺は死ぬなとは言わない。自殺実況されたら止めるけど、それは寝覚めが悪いからだ。

 それなのに何で、中途半端に自分を正当化しようとするんだろう。それは君の無実を証明するよりも、相手を追いつめるだけの事なんじゃないの。だって君は悪く無い、上手に生きられない俺たちが悪いんだもの。

 君を責めているんじゃない、それなのに、君はエマワトソンじゃないのに何でその感情を正当化しなけりゃならないんだ。大体、役者何て言うコンテンツ人間の言う事をいちいち信じて一喜一憂する事が間違ってるじゃないか。人生そのものがビジネスなんだ。何だって言うし、何だってやるだろ。役者のイデオロギーを信じるなんて愚の骨頂だ。

 

 アラブの石油王に「え、都市型狩猟生活いいんじゃね?金銭的価値としての住居からの解放っしょ」って言われたらムカつきを覚えますよ。うるせぇ、エスカレーター型タラップにターバン巻き込まれて死ねって思います。

 そんでそこそこの金を持ってた奴が「いいじゃないですか、ミニマルライフ」とか言ってんの聞いたら殺したくなるっしょ。死にたくなるんでもいい。

 

 あンたとは同じ言語だし、学校であれば生活環境がそんなに差の無い様に思えるかも知れないけど、そうじゃないんだよ。そこには差があるし、環世界も違う。だから本当は言語も違う。それなのに同じ人間だなんて言わないで欲しいし、役割の解放だなんて言わないで欲しい。それに乗っかるような真似もして欲しくねぇ。それは救いじゃない、新たなる絶望でしか無いんだ。

 その断絶に無自覚なままでお気持ちだけを寄せないでくれ。そいつは麻薬だ。立ち直れなくなるぜ。溺れる俺が掴んだ藁だ。夜の大海原に見えた灯台だ。暗闇の中の虹だ。絶望の中で与えられた希望こそが絶望だって分かっててやってんなら、頼む、そっとしといてくれ。

 

 

 救いの無い人生ならもうそれで構わない。

 

 

 生きてればいい事があるとも限らないし、どこかに良い人がいるとも限らない。明日天気になぁれ、俺の人生について適当な観測をするんじゃねぇ。

 救われたかった俺たちのような人間が救いを作った。俺たちは救われた。それでもお前達は「気持ちが悪い」と言う。俺たちは気持ちの悪い存在だろう。お前達に悪気は無いし、何より事実を述べてるだけだ。だから、その世界線のまま共存しよう。

 

 俺たちはお前達の領域を犯さない。お前達もこっちを犯さないでくれ。

 

 波打ち際、線が乱れて行く。それくらいはお互いに許そう。だから、頑張って共存していこう。俺もお前も悪く無いし、無理して無実を証明しないでくれ。苦しいだけだ。お前が悪いとも思ってないし、友達になってヤらせろとも思ってない。

 

 プラスチック解体高校だったかな?告白された男が「本気なら今ここでフェラしてよ」と言うシーンがある。別にそこまで本気でそう思ってる訳じゃねぇ。ただ、棲んでる世界が違う人間との異文化コミュニケーションに警戒すんのは当然だろと俺は思うの。だって俺が黒ギャルに話しかけられたら最大限の警戒するもん。

 ゲーマーズみたいに優しい世界は理想だが、つまりそれはそう言う救いが欲しかった人間の爪痕だよな。そんな救いが実在してるとは思わないが、その中の彼が救われる事で俺も少しは救われた気分になりてぇ。それだけの話くらい、許せよ。な。

 だから別に俺もお前も悪く無い。棲んでる世界や文化が違うだけだ。どっちが良いも悪いも無いだろう。大体、フェイスブックじゃなくてツイっターにいる時点で割と近しい種族なんだろうし、仲良くやってこうぜ。特別優しくして欲しいんじゃねぇ、だから一生懸命になる事もねぇ。今日も生きていきましょう。生き残ったら、また明日。

マンガを読みました 【魔法騎士レイアース2 CLAMP著/講談社】

 同僚に借りたまま、不本意ながらしばらく熟成させていたマンガを読んだ。

 

 レイアースの無印も同僚に借りて読んでおり、そちらも当然ながら既に読み終わっている。ほぼ同時に美少女戦士セーラームーン無印も読み終えており、闘う美少女の確変期を駆け抜けようとしている気分だ。フィーバー、男性性の不要さ。勃たないチンコの物語達。少女よ、闘え。世界は美しい。闘う価値があるうちに。後ろ半分にだけ賛同してくれ。

 

 少女マンガ達の歴史には詳しく無い。しかしとにかくこれが革新的なマンガであった事は教えてもらった。読んで感じるのは、とにかく物語のBPMが高い事だ。凄い早さで展開されていく。飽いたり、ボヤっとしたり、考えたりするヒマが無い。とにかくビュンビュンと音を立てて進んで行く。風きり音が見える。

 少年マンガと違って、バトルそのものに重きが置かれていないので一撃必殺がブンブン出るし、敵は基本的にその一撃で死ぬ。外れたり効かなかったりはあんまりない。目的は””敵ヲ殲滅セシメヒタスラ幸福ヲ追求シ、ヨリ多クノ幸福ヲ得ントス””みたいな世界なので、敵とのバトルなんかは本当にどうでもいいのだ。苦労して倒すとかじゃない。効かない技は次ページになると意思の力で急激に強化され、一瞬で敵を貫く。

 

 女性とは、そう言うものなのかも知れない。

 

 彼女達は高いBPMで物語を突き進み、どんどん進化して幸福を追い求める。男達はよくよく後ろを振り向き、足跡なんぞをぢっと見つめたりするが、そんなロマンは幸福追求の前には何の戯れかと思われるんだろう。

 

 レイアースに限らず少女マンガの歴史や、このマンガの内容に関してはもう今さら何かを語る事も無いんじゃないだろうか。歴史的背景や、マンガと言う連続性のあるメディアから読み解いている人達がいるだろう。

 幸福とは誰かが為すものでは無く、みんなで作るものであるし、犠牲を受け入れてはならない。そこら辺については理想論と現実をどうするか、個々人で話していきましょう。なので僕は物語のBPMについて話をしたい。

 

 

 そう、このレイアース2。前作ほどBPMの高さは感じない。

 

  無印の方はとにかく展開が早かった。

 しかし2は違う。2巻と半分くらいまではやたらと空吹かしで煽りまくるF−1のスタートの様である。ウォンウォンと唸りを上げ、3巻の残り半分でBurzumかと思う程のメタリックでBPMの高い物語が急に展開されていく。もしかしたらアルルの女のファランドールみたいなイメージかも知れない。あの曲は最後の方に狂ったようなテンションになるが、それに似ている(気がする。

 

 終盤に関しては前回の方が圧倒的に優秀で、続編である2は本当に「続編」に徹した作品なんだろうと思う。どう生きるかを選択させられる物語でありそれぞれがその中で成長する物語から、どう生きるかを自ら選択した上でその生き方と闘うと言う話だと思う。

 だから必然的に選択肢を与えられると言うよりは、選択せねばならぬ事を理解して自分がそれに対してどう生きる事が出来るかを悩み、結論を出して生きる。よってBPMはゆっくりになるし、どうしたって最後は落ち着きを持たざるを得ない。

 

 だがそれもブルーズと言う様な陰鬱さを伴うものでは無く、夏を告げる雨の様な、春の匂いがまだ色濃く立ち込める若々しい匂いがする。

  好みが別れそうだなと思う。俺はエンディングも込みで前作の方が好きだ。決して恋ファックとか思ってるからじゃない。本当だ。あんな美しい世界に俺の様な輩が存在していい訳無いだろう。きっとそれを許されるから尚更辛いんだ。だから放っておいてくれ。

 誰が言ったか忘れたが、「ロックはデブで不細工で友達のいないミジメな奴の為の音楽だ」と言うのがあるらしい。俺の為の名言だ。俺はライブには行かない。行けない。あれは素敵な奴らの為のお祭りだ。いや、俺の様な奴らしかいないのかも知れない。なら行ってもいいのかな。存在は許されるのかな。

とにかくこのマンガがロックであるかは知らない。いや、部屋で読む限りはロックなのかも知れない。ブルーズじゃない、パンクでも無い、ロケンロー。

 

 

 俺だって美しい人と恋したいさ!!

 

 

 モコナと言う存在が全知全能の神であると言う話。

 

 それ自体は良いと思うんだけど、神がずもーんと大きな口を開けて飲み込むと言う絵面は笑えてしまった。それに神の摂理や存在に戦いを挑み、それを捩じ曲げると言う事で得る幸福を信じると言うのもある種の恐怖だが、全体幸福と言う宗教の恐ろしさを何となく感じてしまう。

 それは大人と言う事だろう。それも汚い大人の話だ。あんな大人になりたくねぇと誰もがみな思っていた癖に!よォーそろォー!!

 しかし神と言う概念を内包した可愛いと恐怖を同時に持つ存在、憧れと畏怖を表現してて納得しかない。そう言うもんなんだろうけど。

 

 最後にどうでもいい話をすると””セフィーロ””と言う単語で思い出すのはマキシマムザホルモンだが、あれはこれじゃなくての方だと言う話。非常にどうでもいい。