ごめんねハイデッガー

ハイデガーが読み勧められないので、他の本を先に読みます

【観劇記録】美貴ヲの劇「アベサダ:リローデッド」

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下北沢OFFOFFシアターで美貴ヲの劇「アベサダ:リローデッド」を観てきました。その名の通り、有名な阿部定事件がモチーフ。そして歴史は繰り返していく感じでした。面白かったです。音楽のチョイスや演出のキメッキメ感が程よく、心地よい感じでした。程よく心地よいと言うのは、芝居が俺を殺しにこないと言う事であって軽んじたり馬鹿にしてるんじゃないです。凄く良かったです。

 

アベサダと言うバグと吉蔵と言うバグが出会った結果の”客観的には”盛大な交通事故の事件(として描いている、俺は史実を調べていない)なんだな、と思った。

俺はこれに見覚えがある。だから気持ち良かったのかも知れない。実際に「確実になんだけどその瞬間に限っては絶対に本当」と言える発言をする人間が存在する。吉蔵の虚無には見覚えがある。俺はそれをよく知っている。そいつはどこまで言っても虚無であり、だがしかし現実なのだ。

そしてサイコの気がある相席屋ちゃんのネットストーカー的執念。俺はそれにも見覚えがある。目的の為なら手段を選ばない。具体性と言う名の狂気だ。社会を構築するダークマターや隙間を埋め尽くすミッチリと詰まった具合性であり余裕の無い具体性。バグのようでそれも現実だ。俺はそれもよく知っている。

 

その二人が出会った。それは運命だ。交通事故だ。確変が起きた。

 

だがしかしそれは俺の青春であり、俺はそれを見ていた。気持ち良かったのはそれを知っているからだ。彼らは実在し、生存している。だから俺が見たのは並行世界の彼や彼女なのかも知れない。俺はそこでも観客だろう。それが悲しい事かはわからない。俺は生きているし、俺は劇場を出た。それは廓となんの違いがあろう。

 

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鯨幕に蝶、と言うモチーフ。記憶の葬列、自分の為の通夜。

 

物語には結末が必要だ。それが欠落しているのなら作らなきゃならない。嘘でもいい。その為には犠牲が必要だが贄が犠牲だと思わないならそれは贄じゃない。ならばそれは嘘じゃない。真実だ。真実ならば誰も傷つかない。みんなが欲しいのは真実だ。そうでしょう、何があったのか何が起こったのか、彼がどんな人物で会ったのか。知りたいのは真実でしょう?と言う狂気は、気づかれない限りに於いて喜劇的なのだ。

自覚的にやるそれはじゃあ果たして喜劇かと言えばそうじゃない。客観的には悲劇的だが本人にそんなものは関係がない。自分の欲する結末の為に客観性なんてものは徹底的に無価値であり存在する必要がない。そういう意思の強さがある。それはたぶん、赤い蝶なんだろう。血と言うよりは決意の現れに感じる。

 

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俺はこれを平行世界の話として見ていたけれど、実際にはどうなんだろう。実際にと言うのは見ていた他の人たちだ。どういう受け止め方をしているんだろう。作り物じゃない。現実的にすぐそこにある狂気。純度が高く瞬間的には最高の真実である虚構。芝居でもなんでもない日常としてのそれ。吉蔵になるか。サダになるか。それとも僕たちはアプリちゃんなのかヘルスちゃんなのか。はたまた観客なのか。すでにどれかなのか。そうなりつつあるのか。現実と言う肌感覚だけが妙に張り付いている。俺が見たのは「アベサダ:リローデッド」と言う芝居でありつつ、並行世界の現実だった。他の人たちはどう見ていたのだろう。

 

ポップなテクニックでサクサク食感にしている。だがこれは下手をすると腹を下すヤツだ。高みの見物と言うには距離が近すぎる。嘲笑するには鮮明過ぎる。それは白黒の世界に現れた赤よりも現実だ。0と1の世界に現れた2の様なものだ。ワームホールだ。地獄の扉だ。天国の時だ。ジョット、カブトムシ、ドドローサへの道。どう生きるつもりですかと問いかける。好きな方を開ければ良い。待っているのはどちらも絶望と言う名前の希望だ。その覚悟は舞い踊る赤い蝶よりも鬱くしい。

 

もう帰ろう。もう帰ろう。

 

追記:

ラップバトル。あそこはさすがに押韻できないですよね。dungeon的にやれたら最高にウケたんじゃないだろうか。やりたいことはスゲーよくわかったけど、もうちょい欲しかった。

あとはもう30分伸びてもいいから相席屋の感情と言うか人生選択の軌跡を見たかった。わかる、それをやるとポップさがなくなるのは分かるんだけど、見たかったな。それが下衆いスケベ心なのもわかってる。それでももっと濃い味を欲しかった。チンコを切るのに必要な熱量を裏付けるその20年分の激情で溺れたかった。知った風なことを言えば難しい選択だっただろうな……と思いました。