ごめんねハイデッガー

ハイデガーが読み勧められないので、他の本を先に読みます

他人の妄想を嗤うな【書評ー「覚醒剤と妄想 ASKAの見た悪夢」/石丸元章】

 掃除は始まらない。ハイデッガーを読む事も再開しない。そうして積んだままの本を手にとって開き、ページをめくる。ごめんねハイデッガー。今日も暑いね。冷たいのでも飲むかい?アイスクリームだってある。そこの自転車に気をつけてくれ。野菜は無いんだ、残念だけど。

 

 「覚醒剤と妄想 ASKAの見た悪夢」を読んだ。石丸元章なる人物の書籍は今まで一度も読んだ事が無い。TLで見た勢いそのままに密林でポチった。本屋で買わなくなったな……。本は読むけど、本屋は天国かも知れないけど、何だか疲れる場所でもある。まぁその話は割愛する。

 

 この本は自身やASKAをはじめとする薬物中毒者に対して、最大限バリバリ最強No.1に好意的に物を言ってるなァと思う。誰だって何かの肩を持つ。自分だってそうだ。それはいいんだけど、序章開始2ページ1行目で脱字あんのはさすがにイラっとするよな。校正時点で気付いてくれよ、それくらい。ツイッターやってんじゃねぇんだしさ。

 

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「突飛な妄想」”と”いう言葉でくくるんだろ。クソが、イライラするぜ。

 

 読書と言う行為に熱が入って、読者もトリップした段階での気付かないレベルの脱字だとかエベレーターみたいな話なんだったらいいけど序章も序章、値踏み開始段階でそれをやっちまうんじゃ商品としてダメなんじゃないですか。この時点で僕はこの書物に好意を抱けないし、批判的な見方しか出来ない。

 俺はカネを出したんだ、内容はともかくそんな早い時点でトチってんじゃねぇ。怒髪天を衝くってやつだ。それがコア新書だろうが明名書房だろうが関係無い。いつまでもラリってんじゃねぇ、と思わずにはいられない。

 

 

 その怒りを笑いに転化する状況なのが、これを喫煙室で読んでいたと言う所だ。

 禁煙をはじめて4ヶ月が経った。Vapeは吸っても煙草は吸わない。ただVapeを吸うなら法的にどうあれマナーとしては喫煙室にいかざるを得ないし、そこに行けば美味しい美味しい副流煙が満ち満ちている。

 落ち着く匂いだ。ただいま、マイホーム愛してる。深呼吸をする。懐かしい匂いだ。茶色い壁紙。汗臭いマルボロ、甘いキャメル、俺の愛したセブンスター。ここは天国だ。コーヒーもある。最高じゃねぇか。……まぁ、まだしばらくは吸わないんだけど。

 

 禁煙と言う解脱芸。俺はニコチン依存症だ。そいつが喫煙室で深呼吸しながらヤク中が書いたヤク中に関する本を読んで2ページ目でキレているのだから滑稽だ。どっちがイカれてる様に見えるか。That's not my fuckin business. 

 

 この本は、それこそハイデッガーバロウズだとそこら辺の美味しい感じの素材をゴロゴロ転がして適当に炒めたって感じの本だと言う感想を持った。別に目新しい境地に連れていってくれる訳でもないし、「他人の妄想を嗤うな」「wwwで逃げるな、胸を張れ」と言う割にはキャラクター対談形式で進むこれは逃げを打ったスタイルで書かれているとしか思えない。

 そもそも「嗤う」文化を作り上げたのは80年代、90年代のカルチャーが完成させたのでは無いか?と思うんだけど違うのですか。コンプレックスから産まれたカウンターとしてのバッドテイストカルチャーでもって逆サイドを嗤っていたのでは無いか?彼らが信じた環世界をそうやって嘲笑しておいて、いまさら「俺たちの見た悪夢を嗤うな」と言うのは都合が良く無いか?と思うのだが、石丸元章について知っている事は殆どないので彼自身や彼自身が関わった文化、メディアを批判は出来ない。

 

 もしかしたら彼は”嗤う”ことをしないのかも知れない。すくなくとも今後はしないだろう。どんな馬鹿げた事でもそれにマルをつける、否定しないと言うポジションを取るならそう言う事になる。それは十字架だ。枷だ。呪いだ。

 ただ気に喰わないのは、それをキャラクター対談形式にした点なんだよな。いいじゃねぇか、真面目に論じろよ。ストレートを投げるんだ。茶化した対談形式にする必要なんて無いんだろう?wwwで逃げる必要が無いように、自己弁護をせず、ガードをせず、剥き出して行けと言うならそうするべきなんじゃないのか。

 小難しい単語を並べて矛盾しながらチャラチャラと述べているのが”他人の妄想を嗤うな”と言う環世界を尊重しあう多様性みたいな話なんだとしたら、俺には期待外れだったとしか言いようが無い。もっと遠くへ、早く、高く、連れて行ってくれよ。俺も中毒者なんだ。これは俺のセラピーなんだ。

 ビジネスならビジネスでいい。何だって構わん。ただドラッグの役割を果たすならちゃんとドラッグの役割を果たしてくれ。少なくとも、こっちがラリってぶっ飛んで誤字脱字が不明瞭な境界線を越えるまではやってくれるな。飛べるものも飛べなくなっちまう。興ざめだ。 

 

 2ページ目の脱字が無かったら批判的にならずに済んだか、と言う仮定は成立しない。それは妄想では無く現実の印刷物として目の前にある。これにイラつく奴とイラつかない奴、そもそも気付かない奴もいるだろう。そいつらはどうだっていい。お前らもこれでイラつく俺はどうだっていいだろう?なら俺の怒りを嗤うんじゃねぇ。俺はアギーレ、これは神の怒りだ。

 

 嘘だって何だっていい、俺を飛ばせるドラッグが正義で、これはそれに失敗した。それだけだ。