【午後のロードショー】『マラヴィータ』を鑑賞しました
空腹と言う感覚がわからない、と人間は言った。俺にも分からぬ、胃袋に空き容量があってまだ食えることを空腹とは言わないらしい事はわかる。胃に空きスペースが発生し、「食える」と言う感覚が復活する事を空腹と呼ばないのか。俺には分からない。肥満と言う才能があると言われても嬉しい事はない。鉄人と呼ばれた野球選手は「どんな練習やトレーニングより、決められた食事を決められた量、必ず喰う事が何よりも辛かった」と言ったとか。生きるってのは大変だな。
「マラヴィータ(THE FAMILY)」2013年米仏合作。
デ・ニーロ、ミシェル・ファイファー、トミー・リー・ジョーンズ出演。
リュック・ベッソン監督、マーティン・スコセッシ総指揮。
なんだその豪華な感じ。分類はクライム・コメディだとか。
日本に於けるコメディと言う分野の未発達さってのを感じるんだけど、それはどうしてだろうな。生真面目さ、と言うかいい加減さに対する不寛容さと言うか、余裕の無さとでも言った方が良いのだろうか。そこらへんの加減の仕方、バランスの取り方が下手っぽいよな。笑いと言う事に対する感覚の違いとも言えるけど、根本的な文化と言うか精神と言うか、倫理的感覚の話なのかも知れない。
プロテスタンティズムに於いて祈りが労働に置き換わった結果、労働をする事が神に仕えると言う事になった。その労働がなんであるかはさて置き、人々はそういった倫理に従い生きている。手を抜いたり抜かなかったりするが、まぁゴールは同じな訳だ。だから、それが面白いんだろうな。共有できる感覚が多い方がいい。日本に限らず、学園ものってのはまぁなんとか共有できる限度の話だから扱いやすいんだろうな。誰もが胸の奥によく似た夕陽を持ってる。
フランスでの新しい暮らしに苦悶するアメリカ人、と言う姿が面白いのはアメリカと言う国の歴史だよな。それを笑える、と言うアティテュード。まぁお互い様って話なんだろうけど、そういう精神。良いか悪いか置いといて、土壌の違いがあるんだろうなぁと思っている。でもまぁ邦画で言うと「天国からきた男たち」なんかも一応はクライムコメディなのかな。このままだと「邦楽ロックなんてダサくて聞けねぇ」と言ってるイタイ高校生みたいだな。まぁいいか、見てるの午後ローだし。
当然、細かい笑いどころってのはわからない。すぐにキレてぶっ殺すと言う単純さは当然面白い。民主的な法治国家の民なら誰だって笑うだろう。そうでもないか。フランス人が何にでもクリーム入れるとか、アメリカンポルノフードとか、まぁそこらへんも面白いっちゃ面白い。あとは軽口がわからねぇ、押韻の仕方(goodenoughとGoodonoveとか)とかはまぁいいんだ。ふざけた態度、と言う笑いは洋物に限るのかなぁ。
まぁありえなさとか追い詰められていくサマを笑うんでも良いんだけど、あんまり邦画でそういうの見ないなぁ。最近見たの、高速参勤交代とかだもんなぁ。「ラヂオの時間」「みんなのいえ」「トリック」「インザプール」そこらへんもコメディか。うーん、じゃあコメディだ。なら文句ねぇな、なんも文句はねぇ。あるじゃん、コメディ。もうちょい邦画も見た方がいいかもな。
そう思って最近見たのはホラー邦画なんだけど、「貞子vs伽倻子」はコメディーっぽかったな。「仄暗い水の底から」は管理人とかあれギリギリでホラーだけどギャグキャラだよなぁ。まぁホラーとコメディってやってる事にそんなに大きな違いは無いか。紙一重だよな。じゃあコメディとホラー以外、創作である以上は明確な線引きやジャンル分けなんざ必要なのか。どうすんの、映画の感想なんかにマジになっちゃって。
画面は暗く、陰影がハッキリしていて、死体がいっぱい転がっている。北野武映画の影響が少し感じられるなぁ。好きそうだしな、リュック・ベッソン。面白い映画でした。英語も基本的には簡単だし、吹き替えじゃなしに見てても大丈夫です。しかし2013年にもなってフランスでどうのをやってるアメリカ人ってよりは、まぁ古典ジョークとして改めてやってんだろうなぁ。伝統芸能と言うかなんと言うか。これが20年後も笑える関係性だといいですね、そんな話なのかも知れないしその為の映画なのかも知れない。