ごめんねハイデッガー

ハイデガーが読み勧められないので、他の本を先に読みます

【観劇】TheaterMiracleFestival'18 B versionを見てきました

ミラクル祭'18(みらくるまつりわんえいと)

feblabo『お父さんをください』

フジタタイセイ×アリソン・グレイス『モルフェウスの使役法』

を見てきた。直前まで告知を見落としていて、今日もやっていると言うのを見て行くことにした。やぁー、土日までだと思ってて……。行けて良かった。こういうのはタイミングね。劇場の真横にある中国料理屋で蘭州ラーメンストロングスタイルの餃子も喰えたので満足度が高い夜であった。

 

feblabo『お父さんをください』

コント仕立ての小さな神話。近親相姦ってのは神にだけ許された特権で、理想と言うか憧憬があった訳だよね。というかまぁやってた訳だ。社会的に許される許されないは置いといて、いいでしょ「愛」だし……ってなもんだ。親父の指をガチ舐りする娘に思わず笑っちまったが、まぁそんなに深く考えないで見れば良いのじゃないだろうか。LGBTを茶化すでもなく、社会に投げかけるでもなく、まぁいいんじゃねぇのと言う意味で適切な距離感だし。神話なら大丈夫だ。でも制服の縫い跡とプリーツは気になるのでアイロンかけよう。

今後もこの祭りで上演されるんでしたっけ?ならあんまりネタバレとかしない方がいいのかな。じゃあやめておこうか。でもこれだけ言わせて。お父さんの指をガチ舐りするの最高に面白かった。

 

フジタタイセイ×アリソン・グレイス『モルフェウスの使役法』

俺は頭が弱くて厭になるが、考える事を放棄するのはこの作品に対する侮辱だ。だが俺は頭が弱く、物を知らないし礼儀もなってない。許せ。

モルペウス古希ΜορφεύςMorpheus,ラテン語Morpheus,モルフェウス,フランス語Morphée,モルフェ)はギリシア神話に登場する。モルペウスとはギリシャ語の morphe からきており、「形作るもの」という意味を持つ。 彼の父ヒュプノスラテン語Somnus,ソムヌス)は眠りの神である。夜の神ニュクスは彼の母であり祖母である。

 wikipedia

夢と現実の境界線が喪失する、逆転する、混同する、錯乱。与えられた事は決められるけれど、それは社会の中での役割を確立する為の決定でしかなくて、個人のアイデンティティーを確立するような意思決定は存在しなかった。それを突きつけられた時に男は目を覚ますが、それは彼の単なる希望であって現実に彼が何か意思決定をする機会は無く、いやまだ目を覚ましていないんじゃないか、まだ眠ったままで明晰夢の中で選択をすると言う希望を叶えているのではないか。彼は夢の中に止まる事を決意した、その波打ち際で一生を漂うのだろうか。

 

死と言う唯一の現実を喪失した彼はもはや現実主義者(決定者)たりえず、だが明晰夢の中で選択をし続ける。彼が望んだ選択を、欲した選択をし続ける。それが朝陽か夕陽かも彼が決める。水平線の意味、ありとあらゆる単位、空気の密度、存在そのもの、音。寄せては返す波は記憶であり、彼はその波打ち際に存在している。言うなれば彼は解脱しちゃった訳だ。存在と言う輪廻から外れた。感覚の変換点があったのだから、それは間違いが無い。

 

モルフェウス、と言う存在。またそれを使役する(いや仲介する)捨介がいる。捨介がインキュベーターなのかは不明だが、ブリッジとしての役割を持ち、主人公であるワタルとモルフェウスに橋を架け、また神々廻レイノルフ寛斎にも橋を架ける。

 

ワタルはモルフェウスとの接触で夢に突入し、寛斎の指摘で解脱に繋がる気付きを得る。そしてワタルは解脱をする。実社会での存在を喪失する。それは関係性と言う摩擦によって発生する存在や、地位、名誉と言う摩擦での存在、肉体的な空間との摩擦で発生する存在全てを喪失する。それは彼が捨てたのか、捨てられたのか、捨てる決定をしたのか、させられたのか。とにかく彼は彼が作り上げてきた存在を逸脱する。

 

捨介は先に解脱した側の人間なのか、それともなんなのだろうか。単なるブリッジなのか、悪魔的サムシングなのか。概念を置いたと言うのであれば、やや神みたいだがモルフェウスも神だし、それこそ神々廻レイノルフ寛斎も神だ。神に翻弄される存在がワタルであるならば、彼はその神々が書いた悪夢と言うプログラムから醒めた存在であり、捨介は不本意なのか何なのかその覚醒を手伝った存在と言う事になる。

 

ワタルは果たして完全な道化なのか。ピンボールの様に神々のプログラムに弾かれるだけの存在なのか。解脱して意識のみの存在となった彼に何ができるのか。夢の中で繰り返す決定は決定なのか。曖昧な境界線で踊り続ける感じだ。

 

グラングランに訳がわかんなくなってしまった。彼はようやくアイデンティティーと言うものを得るが、それも仮初め(夢と言う現実の再構築)に過ぎないのであれば、それは残酷な話であるけれど、決定をできない現実に存在し続けるよりははるかにマシであり、気持ちの良い存在であれると言う話だし、最終的に彼はそのモルフェウスと生きる事を決めて波打ち際で踊るんだ。

 

じゃあそこまで彼を運ぶタクシー運転手とはどの様な存在なのか。彼は捨介を通さずに得た手段であり存在だ。彼の存在そのものが夢であり、行き先を決定する(決定させられている)事の暗示でると言う事かな。つまり運転手は自分自身な訳だ。だからワタルは最後に海に行く事を決める。そして決定権を得た事で運転手の存在は必要なくなり、その存在は消滅する。おー、ここは合点が行った。違ったら恥ずかしいしけど。

 

ならば神々廻レイノルフ寛斎とは誰なのか。自覚でって自己との対話に見える(寛斎が電話を切るシーンがそう見せている)が、気付きを得る為の存在なのかな。じゃあそれをブリッジした捨介はその彼の自意識に気付いている事になる。それを引き出した存在なのだから、やっぱ捨介が怖いよなぁ。

 

その捨介が構築した概念がモルフェウスであり、ワタルが忘却した存在なんだよね。なぜワタルは忘却したのか。本当に自己の決定に自信が持てなかったからなのか、そもそもその存在が夢なのかわからない。11階と12階の間にあるメザニンに存在する空間、エレベーターで魂の重さだけ得られる自由と言う名の留置所での安息。

 

決定の為に忘れるのかな。忘れる為に決定すると言うのはいささか本末転倒に聞こえるが案外とそういうものかも知れない。滑稽だが、そして何より狂気じみたホラーだが、いやそう思えてきた。人間は狂っているのだ。決めてしまえば忘れる。だから忘れる為に決定をするのだ。モルフェウスはその象徴であって、彼はその存在と同一化することで忘れる事と決定する事の波打ち際で永遠に踊り続けるのだ。俺がその波打ち際にいるともいないとも限らない。人間は狂っているし、俺が覚醒しているとも限らない。どっちにしても狂っているのなら、俺は何をどう決定するのか、この現実に指を立てて夢か現かを確かめる事が必要なのかそうじゃないのかも、あぁすでにモルフェウスが決めているんだね。僕はいつからそれを忘れて、この決定をするのは何度目だろう。

 

落とし所がわかんなくなってきたけど、そういう事です。良質で濃厚なホラーでした。いや、ホラーなのかドキュメンタリーなのかも分からないけど、面白かったです。マジで見といて良かった。

 

追記:

出来損ないの部下とは決められない自分本体の投影で、モルフェウスを覆い隠す虚構の存在である自分を納得させて保持する為の装置なのか。だから夢から覚めた段階で立場が逆転している。社長もそうで、あっちは社会的役割上の存在でしか無い(責任からの回避)はずが、実はそれを与えられていたのは自分で、決定と言う責任に戸惑うことになり無責任な言動を繰り返すのは自分である、と言う事なんだろうか。多分そうだと思うんだけど。

 

彼は徹底して「決定」に拘るんだし、登場するキャラクターたちはその決定に関わっている人間たちなのだから、なんらかの投影であるはずなんだよな。恋人にしてもそうで、不気味な存在でありつつも「俺は愛しているのだ」と言う選択(決定)で得ている安心でそれを誤魔化している。誤魔化しが効かなくなった段階で初めて衝突するが、じゃあそもそもその恋人が存在しているかは怪しい。存在していない描写は無いが、どちらが夢で現かは不明だ。存在の話になると彼が存在している確証も何も無いのだが、少なくとも彼が決定をし始めた時に彼の存在はようやく保証されるはずだ。それを認識しているのがモルフェウスだけだとしても、摩擦がどんなに小さくてもワタルであるところの彼は存在しているんだよな。

 

まぁまだ存在論ちゃんと読めていないので(ごめんねハイデッガー)どうにもおぼつかない話になっちゃうんだけど、俺にはそう見えたんだ。そういう話。